1884.05.20(Tue)

 10時にムッシュ・Hとサロンにおいて。彼は私の絵は誰かの助けを借りて描いたものだと人に思われているほど良く出来ているという。
 実にひどい。
 彼はまた、バスティアンには構図が出来ないとか、彼は肖像画を描くだけであるとか、肖像は描くが、裸体は描けないとか言ったりする。──このユダヤ人には驚く。
 彼は賞牌のことを話しその世話をしてあげようという。彼は審査員は残らず知っているから、等々、と言う。
 そこを出て、私たちはロベール・フルリのところへ行く。私は興奮した調子で、彼に、私は私の絵を自分で描いたのでないと言われたりしていることを話す。
 彼はそうした噂などは聞かなかったし、そうしたことを審査員で考えた人などいないし、またもしそうしたことを言うものがあったら彼もそこにいたのであるからなどと言ってくれる。彼は、私が実際にそうであるよりも以上に興奮していると信じている。それで私たちは、彼が私たちをなだめて、私たちに慰めの言葉を浴びせかけてくれるようにと、私たちのところへ昼食に彼を誘う。──どうしてこうまで皆が何事につけても動揺させられるのだろう? そうした汚らわしさはすべて一蹴してしまうと良いのだ。
 ──審査会で私のいる前で、そんなことを言うものがあったら良かったのにと私は思っているのです、彼はそう叫び出す。私はそんなことは言わなかったでしょう。誰でもそんなことを言うものがあったなら、私はその男をへこましてやったでしょう。ああ! 全くの話ですよ。
 ──おお! ありがとう、ムッシュ。
 ──いえ、それは友誼上の問題ではありません。単に事実であることを言ってるに過ぎないのです。私は誰よりもよく知っています。
 彼はなお私たちに様々の愉快なことを言ったり、私には賞牌を得る機会があると言ったりする。──誰に分かろう。──しかし私にはそうした機会がありそうにも思われる。
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by bashkirtseff | 2012-01-28 14:29 | 1884(25歳)
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