1884.05.17(Sat)

 私はボアから帰ってきた。ボアへはこの地を通りかかったスタリツキの令嬢たちと行ったのである。そうして私はバグニスキに会った。彼は画家のボゴリュボフのところへ行くと、皆がサロンの話をしていて、誰かが誰かに、私の絵はバスティアン・ルパージュの絵に似ていると言ったと、私に言う。
 私は要するに自分の絵が評判になっているので良い気持ちである。人は私を羨望し、私を呪詛している。私は何者かであるのだ。してみると、私は、もしそうしたことが私の喜びであるなら、少しは様子ぶってみることももちろん許されているわけだ。
 いやそんなことはない。私は沈痛な口調で言う。──「あなた方はそれを恐ろしくないとでも思うのですか、そうしてそれは身を粉にしてしまう道ではなかったとでも? 私は6年を、自分の一生の最も美しい6年を、徒刑人みたいに働いて過ごした。誰とも会わずに、そうして人生を少しも享楽せずに! そうして6年目の終わりになって、私はいくらか良いものが描けだした。すると、私は人の助力を借りて描いたのだと言ったりする者がある! それほどまでの労苦の褒賞は、唾棄すべき悪口雑言に変わってしまっている!!!」
 私がこう言っているのは、両腕はだらりと力なく、誠実であると同時に様子ぶって、熊の皮の上に座ってである。すると、母はそれを生真面目に受け取って、私を絶望に陥らせる。
 母はこう言う、──名誉の賞牌がXに与えられたと仮定してごらん。もちろん私はそれを不当であり、汚辱でもあると叫ぶ。私はそれに反抗し、狂気の如くに怒り、云々──
 母、──いや、いや、そんなに興奮するものじゃありません! ああ! 本当に、でも彼が賞牌をもらったというのではありません! それは本当の話ではないのです! 彼はそれを得てはいない! そうしてもし彼にそれが授与されたとしても、それは故意になされたのだ。皆あなたの性格は知っている。皆あなたが憤慨することを知っている。だから故意にそうするのだ。そうすればあなたの方ではお馬鹿さんみたいになってしまうものだから、ね! ……
 これはまだ嫌疑にすらなっていない。単なる早手回しの断案に過ぎない。X…が名誉賞牌を得るまで待って、見ていなさい!
 今ひとつの例。当時流行になっている哀れむべきY…の小説が──何版だか分からないが版を重ねている。もちろん私は憤慨した。どうして、大多数者の飼料というものはそんなところにあるのだろう、人の嗜好はそんなところにあるのだろう? O tempora! O mores!〔おお時よ! おお時勢よ〕あなた方は母をしてなX…なりあるいはそれと似寄りの人物なりについて長口上を再び始めさせる賭をしたいとでも言うのですか! ──そうしたことはすでに幾たびもあった。彼女は、ほんの些細の衝動にも私が身体を痛めたり、死ぬかも知れないと恐れている。そうしてその広大な純朴さから、つまりはかえって私に熱の発作を起こさせるような方法手段で、私の余命を保たせておこうと欲しているのである。
 Xなり、Yなり、あるいはZなりが来て言う、──あなたは知っていらっしゃるでしょう、ラロシュフウコオの舞踏会はすてきでしたよ。
 私はふさぎ込んでしまう。
 母はそれを見て取って、偶然のようにして何か話し出して、5分の後にはその舞踏会のことなどを私が気にかけなくなるように仕向けたり、そうでなかったら、そんな舞踏会などは跡形もないことであったと証明しようと努めたりする。
 そうしたことがある。──と、子供らしい作り話や口実が持ち出される。それを私の方では、私が鵜呑みにでもすると思われているのを見て怒ってしまう。
[PR]
by bashkirtseff | 2011-08-16 10:51 | 1884(25歳)
<< 1884.05.20(Tue) 1884.05.15 >>