1884.05.07(Wed)

 私はサロンの絵と、それからもし私がそれを時宜に適しているものと思うなら、そのほかの様々な絵とを、板刻して発表したいという要求の手紙を、ヂュセルドルフから受け取った。それは面白かろう。しかし私は、あなたもご承知の通り、これを偶然の出来事とは思っていない。要するに、そうだ、これは成功である。皆がそうと私に確言している。去年は誰もこのようなことを言わなかった。去年はパステル画に対して、芸術家としてのほんの小さな成功があった。しかし今年は……ただ、それが雷鳥のごとき勢いでない。否。そうしてもし今晩客間に集まっている人たちの中で私の名前を呼び捨てる者があっても、一座がどよめき渡るというような結果は生じないであろう。少なくともその客間に画家たちがいっぱいいるのでなければ。一つの……成功が……私の胸にまで響いてきて私を幸福にするためには、そうあることが必要である。
 そうだ。私の名前が口にされると、大勢の会話がはたと止んで、皆の頭がその方へ振り返るようでなければならぬ。
 サロンが開場されて以来、私の絵について語っていない新聞紙は一つもない。そうだ。けれども、それだけではまだである! 今朝「パリ・デタンセル」に「女流花形──画家」なる記事が出ている。これは気が利いている! ──私はクレールのすぐ後に出て、そうして、彼女と同じくらいの行数で書き立てられている! ──私はグルーズ(19世紀の画家)である。私は何者かになるであろうと思われる人物に見るような意力の勝った額をしているブロンドである。私は深奥な目つきをしている。私は非常に優美である。私は才能を持っている。そうして私は、バスティアン・ルパージュの畑での、よき写実主義を持った絵を描いている。以上のごとくである! しかしそれが全部ではない。私は微笑して、子供のような愛らしいにこやかな顔になる!!! ──それでいて私は有頂天になっていはしない? ああ! ちっとも有頂天になっているのではない。
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by bashkirtseff | 2011-08-11 13:45 | 1884(25歳)
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