1884.05.05(Mon)

 死ぬ、これは誰でも容易に口にしたり筆にしたりする一つの言葉である。しかしやがて死のうとしていることを考えたり、信じたりするのは? 私はそれを信じているだろうか? 否、私はそれを恐れている。
 それを自ら偽るよしもない、私は肺病である。右はかなりひどくなっている。左も1年前から少し侵されている。──両方である。──ああ、まるで別人のような格好になって、私はやつれ果ててしまうのかも知れない。私は大概の若い娘たちよりもふっくらしているに違いない。しかし私は以前のようではない。まだしも1年前までは、私は脂ぎっているというでもなく、太り肉というでもなく、すっきりしていた。今では、腕にもうしっかりしたところがなく、そうして上体の、肩の辺へかけて、まるまるした美しい肉付きを見る代わりに、骨っぽさが感じられる。私は湯浴みしながら、毎朝鏡に映して見る。腰の辺はまだ美しい。でも膝の筋肉が見えだして来た。足つきは良い。要するに、私は不治の病にかかっているのだ。でも、かわいそうな人間よ、身体を厭うがよい! しかし私は身体を大切にはしているが、だめだ。私は肺臓の両側に自分で灸をすえた。私はもう4カ月の間は、自分の肌を見せることは出来ないだろう。そうして、眠るために、時々、その灸点を新たにしなければならないだろう。全快するなどは問題でない。私は暗黒に向かって突進しているようなものである。いやしかし、それが事実に他ならないのであるが、灸点は別として、まだたくさんすることがある! 私はそれを皆している。肝油、ヒ素、ヤギの乳。私は一頭の牝ヤギを買ってもらった。
 要するに私は寿命を伸ばしはしよう。が、だめだ。
 こうして私はあまりにあくせく心配させられた。私はそれで死ぬのだ。それが論理的である。しかしそれは恐ろしい。
 人生には実にたくさんの面白いことがある! 読書だけでも。
 ゾラの全集と、ルナンの全集と、それからテーヌを数冊取り寄せさせる。私はミシュレのそれよりもテーヌの「革命」の方が好きである。ミシュレは曖昧で、活気がない。そうして彼は崇高に構えているにもかかわらず、私はテーヌを読んでみると、言うがごとくテーヌはそれを醜く現そうと欲したのではあるが、ミシュレよりもこの「革命」の方が好きだ。
 では絵画は?
 こんなときには誰でも、来て万事を処理してくれる一人の神を信じたくなる!
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by bashkirtseff | 2011-08-11 13:12 | 1884(25歳)
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