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1876.01.14(Fri)

 11時に、私の絵の先生なる若きポーランド人(底本:「ポオランド」)カトルビンスキが一人のモデルを連れてきた。それは線と陰影を少し和らげたならば、完全にキリストの首となれるモデルであった。この男は一本足である。首だけでモデルになるのである。カトルビンスキはいつもキリストを描くときはこの男をモデルに使うと言った。
 白状すると、私はそのときその場になって実物から何らの準備なしに描いてみよと言われたので、少しかんしゃくに障った。私は木炭を取って大胆に輪郭を取った。「──結構です、その上を絵筆(パンソオ)で描きなさい」と先生が言った。私は絵筆を取って言われた通りに描いた。
 ──結構です。今度は塗ってご覧なさい。とまた先生が言った。それで私は絵の具を塗った。そうして1時間半の終わりにはそれを仕上げた。
 私の気の毒なモデルは身動きもしなかった。また私のことを言うと、私は自分の目をほとんど信じることが出来なかった。ビンサのときは鉛筆の略画で一枚の絵を模写するに、いつも2、3回はかかっていた。それに今では1回のモデルで、しかも実物から取って、輪郭も、色も、背景も、皆仕上げてしまった。私は一人で満足している。もし私が自分でそれに相当していなかったならば、こうは言えないのである。私は厳正だから、ことに自分のことになると容易に満足することが出来ないのである。
by bashkirtseff | 2005-01-02 11:51 | 1876(17歳)
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