1884.03.24(Mon)

 数日来、なぜかは知らぬが私の周りにはもやみたいなものがあって……それが私を世界から孤立させて、私に私自身の奥底にある現実を見させている。だから……。否。不平を並べ立てるには一切があまりに物悲しい。……それは重苦しい愚である。……私は数年前にはそれほど感心もしなかった1冊の本をまた読んでいる。それは驚嘆すべき「ボヴァリー夫人(底本:「マダム・ボヴァリ」)」である。
 文学上の形式、文体……そうだ。……要するに、それは制作におけるすべてである。
 しかしそれが問題ではない。私を取り囲んでいるそうした空気の間にあって、私はより明瞭に現実を見ている。……それを書き立てながら私は泣きだしそうになるほどの、実に過酷な、実に辛酸な、様々な現実を。しかし私はそれを書き立てることすら出来ないであろう。それに、何の良いことがあるだろう? すべて何になるか? 何ものへ到着しようとして毎日10時間ずつも仕事をして6年間を過ごしたのであろう? 才能の始まりと死病。私は今日自分の医者の元へ行った。そうして彼からこう言われたくらいに、実に穏やかに話をしてきた。「いつもあなたは元気でいらっしゃいますね。」
 もしも私がどこまでも、「功名」が自分に一切の償いをしてくれることを望むならば、生きていなければならぬ。そうして生きているためには、自分を看護しなければならぬであろう。……
 そこに様々な幻像がある。唾棄(だき)すべき現実がある。
 誰をも決して信じない……そうなるまでは。……私はほんの小娘だったころ、初めて汽車に乗ってそうして初めて見知らぬ人たちに接触したことを今でも覚えている。私は何くれとなく手回りの物を持って、2人分の席を占めて座り込んでいた。その時2人の旅客が入って来た。──この席は取ってあるのです、私は堅くなってそう言った。──そうですか、紳士は答えた、じゃ車掌を呼びましょう。
 私はそれを一種の脅迫だと思った。家庭でよくやる虚言の1つだと思った。そうして車掌が来て手荷物をのけると、すぐその席へくだんの旅客が座り込んだとき、私の襲われた不思議な寒慄は、何と言葉で言い表して良いやら本当に名状することが出来ない。これが最初の現実であった。
 長い前から、私はそうとは信じてもいない病気で脅かされていた。……実際! ……私はそうした惨めさを残らずあなた方に物語っているような時間はなかったはずかも知れない。しかし私は自分のモデルを持っているのだ。そうして何もしないでいると、しきりに嘆息ばかりしなければならぬ。
 そうして灰色がかった重苦しい空をして、3月の風が吹いている。
 私は昨日かなり大きな1つの絵に着手した。それはセーブルの物古りた果樹園で、一人の少女が、満開の1本のリンゴの木の下に座っている絵である。一筋の小道は遠くの方へ消え、そうして至る所に花をつけた果樹の枝々が茂り、草は青々として、スミレや名も知らぬ黄色い小さな草花が咲いている。座り込んで夢見ている女は、目をつぶり、頭を両手で支えて、ひじをひざに立てている。
 これは非常に素朴なものになるに違いない。そうして女を夢見させているところの春の発露を感じさせるようにしなければならぬ。
 日差しを枝々の間に見せるべきである。これは幅が2メートルで、縦はもう少し高い。
 時に、私は3号の番号で入選したというに過ぎない。そうして私は自分の絵をシメエズの上に掲げられないようなことに、なりはしないか?
 そうなっては勇気も尽き果て、望みも何もありはしない。それも誰の咎と言うではなく、私に才能がないからのことなのだ。……そうだ、もし私が自分の芸術に希望を失ったら、私は即座に死んでしまうだろうということを、これは真実私に示してくれた。そうしてもしもこの希望が、今夜のように、なくなってしまったとしたら……そうだ、決して誇張して言うわけではないが、そうなれば死よりほかに道はないであろう。
[PR]
by bashkirtseff | 2011-03-10 22:08 | 1884(25歳)
<< 1884.03.27(Thu) 1884.03.22(Sat) >>