1884.03.11(Tue)

 雨。ただそのせいばかりではない。……私はどうも加減が悪い。……何もかも実に不公平である。空が私に押しかぶさってくるようだ。……
 要するに、私はまだ、死ぬのにも陶酔をすら見いだせる年齢にある。
 私には、何人と言えども私ほどにはすべてのものを愛していないように思われる。すなわち美術、音楽、画学、書籍、社交、衣装、ぜいたく、騒音、静かさ、笑い、悲哀、憂うつ、冗談、恋、寒気、太陽、春夏秋冬、あらゆる天候、ロシアの和やかな平原及びナープルの4周の山々、冬の雪、秋雨、春とその物狂わしさ、夏の物静かな日と星の輝く美しい夜。……私はその一切を熱愛し、驚嘆する。その一切が私には興味深い眺めかあるいは崇高なありさまをして現前している。私はその一切を見たい、その一切を持ちたい、その一切を抱擁したい、その一切と溶け合ってそうして死んでしまいたいように思う。なぜと言うに2年間にか、でなかったら30年間には死なねばならないから。この最後の神秘を、この一切の終わりをあるいはこの神界の始まりをば体験しようために、歓喜の念に溢れて死ぬのである。
 この宇宙愛は肺病患者の感傷ではない。私は常にそうであったし、また10年前(1874年)に、四季折々の魅力を列挙した後で、こう記しとめておいたのを今も覚えている。私は選びだそうとしたけれども出来なかった。1年のすべての季節、一生のすべての時期、皆美しい。
 「すべてでなければいけない! 残余では足りない。
 「自然でなければ駄目だ。自然の前には何でもみすぼらしい。
 「要するに、人生におけるすべてが私には気に入っている。私はすべてを心地よく思う。そうして一切の幸福をば願いながら、私は自分のみずぼらしいことをも幸福に思っている。私の肉体は泣き叫んでいる。しかしこの私のはるか上にある何物かは生活を享楽している、いつだっても!」
 善良で親切なトニー・ロベール・フルリが今夜ここで晩さんを共にする。彼は私の子どもが大層良くなってきたと言う。そうしてこれを要するに、この絵は嘘偽りのない良い出来であって、この分ならサロンで評判を博するであろうと。
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by bashkirtseff | 2011-03-08 22:42 | 1884(25歳)
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