1883.11.28(Wed)

 私はヂナの肖像を描いた。青白い調子で、うまくいった。
 その娘は昨日私のアルバムをめくっていたとき、私に一つの古い草案を思い出させてくれた。すなわちシーザー(底本:セザル(ケエザル))の弑逆(しぎゃく)を。それは私の胸を貫いた。私は4時頃、ある色調を写し取っておくために戸外へ出た。3日この方、極光のような光線がパリを燃え立たせるように包んでいる。……私はそれを馬車の上でするのであった。私は描きながら馬車を駆けらした。……私は色調のみを探し求めていたのである。……さて、それを描くと、私は戻ってきてスエトニウス(十二皇帝の著者なるローマの歴史家/底本:シュエトオヌ)とプルタークに飛びついた。モンテスキューはプルタークの中の弑逆の話を賞賛している。何というアカデミアンであろう! いかにも整然としていて、流暢である。しかるにスエトニウスにあっては、その話が人をして戦慄せしめる。それは背中に悪寒を覚えさせるような一種の口供書である。さても偉人という者は、幾世紀の後に至るも、彼らの生涯とその死とが私たちをして戦慄せしめたり泣かせたりするとは、何という驚くべき威力を持っていることだろう。私はガンベッタのために泣いた。歴史をひもとくたびに、私はナポレオンに泣き、アレクサンドルに泣き、シーザーに泣く。アレクサンドルも不幸な死を遂げたが、しかしシーザーは! ……
 私はその絵を自分一人で描こう、情緒の上から。また群集のために。と言うのは、それはローマ人であり、そこには解剖があり、血があるから。そうして私は女であって、女は古典の大物は何一つ描かなかったから。そうして私は構図とデッサンとに自分の技量をふるいたいから。……さらになぜなら、それは非常に美しいであろうから。
 私を嫌がらせるのは、それは戸外でなしに、元老院内で起こったことである。その方が難しさは少ない。……そうして私はそのような困難はすべて意に介しない。……私は自分が最も困難な事柄にかかっていると信じているときには、たちまちにして非常に冷静に、非常に決定的な態度になる。私は自分を引き締め、自分を集中させ、そうして自分より以下の者でも出来るような仕事よりもずっと良くできる。
 この絵を描くのにローマへ行く必要はない。だから私はすぐ取りかかろう。……そうは言っても、3月か4月の月なれば、春が戸外にあって実に美しい色調を与えている。そうして私はアルジャントゥイユにおける花の咲いた樹木を描きに行こうという意図を持っていた。……一生のうちには描いても良いものが実に多い。だのに一生は実に短い! 私はすでに自分が計画したものを仕上げる時間があるだろうかどうかすら知らない。
 「聖女たち」……──大きな浮き彫り! 「春」。「ジュリアス・シーザー」(ユリウス・カエサル)。──「アリアアヌ」(アリアドネ)。──茫然自失してしまう。そのすべてを、すぐにもしたい。……と言ってもすべては徐々にされるであろう。……おのおのその宜しきに従って、あまたの遅延と、冷静と、幻滅とを持って。……人生は論理的なもので、すべてが相関連している。そうしてブルートゥス(ブルータス)が幻影に追われて自殺するとき、私はこう叫びだして自ら驚く、──よくなすったわ、無頼漢、よくなすったわ、汚らわしい悪人!
 偉大なものでの成功! 私が来年とか、その次の年のことなぞを考えているのだと思ってはいけません……もっと先です。……私はそんなことは考えようともしていないのですが、いずれにもせよ、そうなったら実に狂喜すべきであるかも知れません。
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by bashkirtseff | 2010-11-28 22:11 | 1883(24歳)
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