1883.11.22(Thu)

 「イリュストラシオン・ユニヴェルセル(ロシアの)」は、その第1ページに私の絵のデッサンを発表している(「ジャンとジャック」)。
 これは最も大きなロシアの絵入り雑誌であって、私はそこでは心安く自分の家にいるような心持ちである。
 そうしてそれも私の喜びの種とはならない。なぜか? それは快くはある。けれどもそれは喜びではない。 なぜ? なぜと言うに、それは私の野心に対して充分なものではないから。もし私が2年前に褒状を得たのなら、私は気が遠くなったに相違ない。もし私が去年賞牌を授与されたのなら、私はジュリアンの胴着の上で泣き出したであろう。……でも、今では……
 事件は論理的なものである、まことに! すべてのことが相関連していて、次第を追って進み、すべてのことが少しずつ準備される。来年の第3の賞牌は、私には自然としか思われない。もし何にも得なければ、私は反抗するであろう。
 事件が待ち設けられてなかったときだけ、私たちは生き生きした喜びを経験する。そうしてある程度まで驚かされる。
 第2の賞牌が来年のサロンで授与されたなら、私はかなり幸福になるかも知れない。と言うのは、私はそれを当てにしていないから。それに、当てにしているというのは賞牌ではなくして、多少ともそれに伴うところの成功である。
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by bashkirtseff | 2010-11-28 21:54 | 1883(24歳)
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