1883.10.01(Mon)

 15日前に死んだ私たちの大作家ツルゲーネフの遺骸は、今日ロシアへ送られた。停車場で、盛大な告別式。ムッシュ・ルナン、ムッシュ・アブウ及びド・ヴィルウボフというロシア人の告別の辞があった。このロシア人はフランス語を非常によく話して、外の人たちより以上に感動させた。アブウは低声で私にはほとんど聞こえなかった。私はサン・マルソーの胸像で見てその顔を知っていた。ルナンは非常に良かった。そうして最後の告別の言葉は震えていた。ボゴリウボフもまた告別の演説をした。要するに私は一人のロシア人が、かの最も尊大なフランス人によって敬意を払われるのを見るのが得意である。
 私は彼らを愛している。しかしまた彼らを軽蔑している。
 彼らはナポレオンをサン・テレエヌ(セントヘレナ)で死なせた。それは巨大な、奇怪な、唾棄すべき罪であり、永遠の恥辱である。……
 他の国民の間にあっても……そうは言っても……セザル(シーザー)を殺戮した。要するに、デュマ・フィスが実に正しく言っている通り、古代においてなら祭壇を設けて祭られたかも知れなかったラマルティーヌをさえ彼らは侮辱した。
 それから、更に個人的な今一つの遺憾を言うと、彼らはバスティアン・ルパージュの才能を認めていない。──私たちはツルゲーネフの告別式の後、サロンへ行った。そうして私は、その絵を情熱の爆発、内面の爆発をもってでなしには見ることが出来ない。あるいは、私は彼に恋していると思われたかも知れない。
 メエソニエ! しかしメエソニエは一個の手品師に過ぎない!
 彼はほとんど感激に境するような実に偉大な驚愕を引き起こさせるような風に、様々な顕微鏡的な絵を描いている。……しかし彼がこの細小の価値を脱出するやいなや、彼の描く顔が1センチメートル以上の大きさを持つやいなや、それがこわばってきて、平凡なものになってしまう。しかし誰もあえてそれを言う者はなく、皆が賛嘆する。もっとも、今年のサロンに出ている彼の画布はすべて良い出来で正しく描けているにはいるけれども。
 しかしそれが芸術だろうか?
 クウアヴサン(古代の楽器・今のピアノ)を奏でていたり、あるいは馬に乗っていたりする着衣の人物や……
 要するに多くのジャンリスト(風俗画家)はこうした絵をたくさん描いている。
 私が彼の絵のうちで驚きと美しさとを見て取ったのは、まず第一にアンティーブ街道の「戲毬者たち」である。これは、たとえ服装は古代のものになっているにもせよ、実物から取った情景である。またこれは空気と日光のあふれている絵である。そうして実に小さくて、人をびっくりさせてしまうような絵である。
 ついでは彼自身と彼の父が馬に乗って、同じ街道を行ってる、と私は思う絵。次には「銅版画彫工」。──動作と表情とが甲どころを捕まえていて、真実である。考えている、制作している、そうしておそらくは夢中になっているこの男は、私たちの心をそそり、私たちの興味を惹きつける。そうして細部が実に奇怪である。──窓から眺めているルイ13世時代の一人の騎士が、同じくらいの形で、さらに動作が正しく、働きが人間味を帯びていて、自然で、単純で、要するに人生の一部である。
 その外のものはすべて私はかなり入念な良い風俗画のとして類別する。そうしてそれらは、私が上に挙げたような傑作なしでは、メエソニエを光栄あらしめるには足りないであろう。
 彼の肖像画は、首がたった2センチメートル位でも、もう厚紙で出来ているようである。そうして大きくなればなるほど、余計悪い。
 私は敬礼して通り過ぎる。彼は私の心には永遠に触れないであろう。しかしバスティアン・ルパージュの肖像画を見よ! 多くの人たちは、もし私がこの方がメエソニエのよりも非常に勝っていると言ったりしたら、大声を上げて叫びたてるかも知れない。けれども、それは争うべからざる一つの真実である。
 しかしねたむ者はすべて、彼らの危険視している人をば打ちのめすため、一般に認められている老大家の名声を棍棒代わりに使う。バスティアン・ルパージュの肖像画に比ぶべきものは一つとしてない。彼の画面については異論もあるでしょう。……それはそうでしょう。あなたには分からないのかも知れません。──しかし彼の肖像画は! 世界開闢(かいびゃく)以来今日に至るまで、誰もこれ以上のものを仕上げた者はなかった。
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by bashkirtseff | 2010-11-24 07:43 | 1883(24歳)
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