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1883.09.26(Wed)

 不満な点の忘れられた今では、私はただ父については、良いところがあったこと、独創的なところがあったこと、才気があったことなどばかりを思い出している。彼は果断な人であった。そうして世俗の目には、軽はずみで、風変わりな人間のように思われていた。少し冷酷なところと、ずるいところもあったにはあったであろう。…… でも、どこに欠点のない人があろう、私自身とても? ……実際、私は自分を責めて、父の上を泣いている。
 もしあのとき私が出かけてさえいたら……。それも体裁からだったのかも知れないが。感情はそこにはなかったのだから……
 それはどっちにしても同じように褒むべきことであっただろうか? 私はそうは思わない。
 私はそうした感情を持たなかった。だから神はその点で私を罰するであろう。でもそれが私の過ちだろうか? それから今夜の和やかなこの心持ちも考慮に入れてもらえないだろうか?
 私たちは、良かれ悪しかれ、私たちの真実の感情に責任があるだろうか?
 自分の義務をば果たせ、と、あなたは言う。それは義務の問題ではなかった。わたしたちは今感情のことを語っているのである。そうしてあのとき私は出かけようとする必要を感じなかったのに、どうして私は神に裁かれるだろう?
 そうだ、私は今夜のような情熱をもっと早く感じなかったことを悔やむ。今や父は死んでしまって、取り返しがつかない。そうして私は死にかけている父のところへ行くべき私の義務──なぜと言うにそれは私の義務であったから──を履行することが、私にどんなに値したであろうか? 私にはそれが分からなかった。私は自分が全然罪がなくはないと感じている。私は義務を果たさなかった。それは果たさなければならなかったのである。これは永遠の悔いである。そうだ、私は良い振る舞いをしたのではなかった。だから私はそれを後悔している。そうして私はそれを自分の前に恥じている。これは非常に苦しいことである。私は弁解しようとは思わない。が、母が、あのときそのことを私に言って下さるべきだったとは考えてもらえないでしょうか? ああ! もちろんそうです! 彼女は私を疲らすのを恐れていたのです。それから、こうした理由もあった。「マリが母と一緒だとする。そうすると、2人を6カ月も彼の地にとどまらせることになるかも知れない! もしマリがこちらに居残ることになれば、母はそれよりも早く戻って来られるだろう。」
 そういう風に家族の側では推論した。ああ! 人は常に何らかの影響を被るものである、それとは知らずに。
by bashkirtseff | 2010-09-01 07:40 | 1883(24歳)
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