1883.08.29(Wed)

 私はこの暑さにも関わらず始終咳をしている。そうして今日の午後は、モデルの休みの間、長いすの上で半ば眠りかけると、私は自分が寝ていて、自分のそばに大ろうそくが灯っているのを見た
 これはこうしたすべての凶事の結末であるのかもしれない。
 死ぬ? 私はそれが非常に怖い。
 だから私は死にたくない。それは恐ろしいことであろう。私は幸福な人たちはどうしているのか知らない。しかし私は神に何物も期待しなくなってから、かなりにかわいそうなものになっている。そのすぐれた隠れ家がなくなった上は、もう死ぬよりほかに仕方はない。神なしには、詩も、愛情も、天才も、恋も、野心もあり得ない。
 情熱は私たちを不安の中に、希望の中に、欲望の中に、思想の激烈さの中に投げ込む。人ははるか彼方にあるものを求める。感激と祈りをもって近づき得る神を求める。何事でも願えれば、何事でも語り得られる神を求める。私はあらゆる著名の人たちが、恋したり、非常に野心を燃やしたり、あるいは非常に不幸だったりした場合に、神に救いを求めたかどうかを告白してもらいたく思う。
 普通の生まれつきの者だったら、たとい利口であっても、学問があっても、神なしに平気でいられる。しかしひらめきを持っている者であったら、たとい彼らは、あらゆる学問に通謀していようとも、また、たとい彼らが理性からは疑っていようとも、彼らは情熱から信じることがあるはずである。少なくとも時折は。
 私には学問があるというわけではない。しかし私のあらゆる省察はこうした方面に向かっている。──すなわち、私たちが信じよう教えられている神は一つの創作である。ある宗派の、また他の宗派の神、そうした神について言うことはない。
 しかし天才ある人々の神、哲学者たちの神、私たちみたいにただ単に聡明な人間の神、その神が、もし私たちの言うことを聞いてくれないとするならば不公平である。もしまたその神が意地悪だとするならば、私にはその神のなすべきことが何であるか分からない。
 しかしもし神が存在しないとするならば、あらゆる国民の間に、またあらゆる時代において、至る所に神を崇拝しようとする必要はなぜあるだろうか? あらゆる人々の天性となっているこうした熱望に対して、また、私たちをして崇高な存在を、偉大なる主を、神を、探し求めるに至らしめるこの本能に対して、何一つ適応するものがないということが可能であろうか?
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:57 | 1883(24歳)
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