1883.08.16(Thu)

「大きな不幸」と言ってはあるいは誇張になるかも知れない。しかし今起こったそれは多分、理性ある人たちによってすら、したたかに打たれた棍棒の一撃とも思われるような、まさしくそうした大きな不幸と見なされるであろう。……
 そうしてばかげている。……私のあらゆる不幸がそうであるように。
 私は最後の期限なる8月の20日に、3年ごとに開かれる展覧会に私の絵を送ろうとしてた。ところが、それは20日ではなく、今日の16日で、その期限は切れるのである。
 私は鼻に疼きを感じ、背中に痛みを感じ、両手が言うことをきかない。
 打ちのめされた後は誰でもこうであるに違いない。
 そうした後で、私は自分のあらゆる不幸を泣くため化粧部屋に身を隠す。──誰からも嫌疑をかけられない、唯一の、そうしてあまり英雄的でない場所に。
 もし私が自分の部屋に閉じこもっていたなら、そうした打撃の後にあっては、理由を察しられてしまう。私は目をつぶって、子供か野蛮人みたいに、唇をゆがめて、心から泣くために、身を隠すようなことをしたのは、これが初めてだと思う。……
 そうしてそれから? それから、私は目が平静通りになるまでアトリエにとどまる。
 私は一度母の両腕に抱かれて泣いたことがあった。そうして人と共に分ちた悲しみは、痛ましい屈辱であったから、それから幾カ月もの間、私はもう何人の前でも自分の心痛を泣いて見せることはしなくなった。怒って泣くとか、あるいはガンベッタの死を悼んで泣くのなら、何人の前でもかまわず泣ける。しかし自分の弱さを、自分の貧しさを、自分のみすぼらしさを、自分の屈辱を並べ立てるのであったら、断じて泣けない! もしそうすれば一時は慰められるとしても、他人に打ち明けたことを永久に悔いることになる。
 あなたにお話しした場所で泣き崩れながら、私は私のマドレーヌの目つきを発見した、──彼女はもう塚穴は見つめていないだろう。何にも見つめていないだろう。ちょうどさっきの私みたいに。人の泣いていたあとの、あの一杯に見開いた目。
 そうだ、そうだ、そうだ!
 神は不公平である。もし神があるならば、私は神の責任を誰に訴うべきだろう? 私が疑うと神は罰する。神は私に疑わせるようなことばかりする。そうして私が疑うと、私を打つ。そうして私がどこまでも信じたり祈ったりしようとすると、私に堪え忍ぶことを教えるように、さらに一層きつく私を打つ。
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:45 | 1883(24歳)
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