1883.08.11(Sat)

 私はスタンダールの絵の歴史を読んでいる。理知的なこの人はいつも私と意見が一致する。けれども彼は余りに悪戯と創意を求めすぎるように私には思われる。
 私は、悲痛を描くには生理学を研究してかからねばならぬように言われると、痛ましい驚きを感じさせられた。
 どんな風にだろう?
 もし私が悲劇的表現を感じないなら、何の生理学が私にそれを感じさせ得るだろう? ……筋肉! ああ! 主よ!
 悲痛を生理学的に描くような画家だったら、そうして彼はそれを感じたのでもなく、理解したのでもなく、見た(ただ形の上で)のであるから、そうした画家だったら、冷たい、平凡な芸術家たるに過ぎないであろう。それはまるで、何のなにがしはある一定の規範に従って苦しんでいると言っているようなものである。
 まず第一に感じ、次いで、推理しなさい、もしそうしたいならば。解剖が印象を確証するはずはないとは言い切れない。しかしそれも純粋な好奇心からの穿鑿かも知れない。
 いかなる色で描くべきかを論理的にまた科学的に知るため、涙を分解して見るのはあなた方の自由です! 私は、私の涙の輝くのを見て自分の見た通りにそれを描く方を好む。なぜそれはこうであって、ああでないぞということを知ろうとは思わない。
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by bashkirtseff | 2010-08-22 06:36 | 1883(24歳)
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