1883.07.12(Thu)

 カンロペエル夫妻が朝食を共にする。それから私たちはセーズ街の展覧会に行く。
 私の神よ、私の欲しいものは才能です。私の神よ、才能よりほかに欲しいものはないと私には思われます。
 化粧も、めかしも、何にもない。私は良く身じまいする。それとても技術のうちである。そうしてまた私はいいかげんな着方はしていられない。そうでないと……
 でもこうした不断の心遣いが私をみにくくする。私は自らを葬り、閉じこもる。そうすることが何の利益を私にもたらすだろう?
 天才の発現した後を語り合うのはすぐれて良いことである。でもこんなでは! 私はベンヴェヌート・チェッリーニ(イタリアの文芸復興期の有名な彫金家/底本:「ベンヴェヌトオ・チェリニ」)が彼の家財を焼いたときにも、私ほど強かったとは思わない。私はもっとずっと良いものを、もっとずっと多く、火炎の中へ放り込んでいる。でも私は何を代わりに得るだろう? 彼は何を売るかを知っていた。でも私は! ……
 もし私がもっと早くこの子どもたちの絵を片付けていたら、私は田舎へ行っていただろう。本当の田舎へ。広々した地平線が見えて、原野があって、山のない。美しい日没が見られて、灰色がかった地層があって、牧草と、野の花と、バラと、それから空間、空間のある。そうして私は無限の空のある大きな絵を描きたい。……青草の茂った、野の花の咲いた。
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by bashkirtseff | 2010-08-06 07:53 | 1883(24歳)
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