1883.06.10(Sun)

 日曜は、誰にも落ち合う危険がないので、私は朝の間にサロンへ行く。
 実際うんざりするような不当な受賞が幾つもある。
 若いロシュグロスの若い絵の前には相変わらず人だかりがしている。彼は非常に力強い。異論のない絵である。しかし私には見ていても熱して行けない。と言って、熱せずにいられないような絵がどこにあるだろう?
 人を感動させるには、自分も奮闘しなければならぬ。だから、私は力作してもって、感情の偉大なる高揚にまで達するのだ……人工的の。
 けれどもジャンヌ・ダルク……そうだ、あれは真実だ。それから? まだそうした例はまだある。
 ルーヴルには? あそこにも肖像画がある。大きな古いものもあるが……とは言え、フランス派の甘美な作品と肖像画。
 そうして今世紀の最近の出陳としては、ローランスの作品とバスティアンの2、3種。すなわち彼の弟の肖像、アンドレ・トゥリエの肖像、サラの肖像。その次は……その次は……誰か私をも芸術家だと言ってくれましょうか?
 ほかの道に進んだにしても、数学を除いたら、私は英知と意志の力できっと同じ点までは達しられたに相違ない。
 でも音楽が私の情熱をそそる。そうして私にはやすやすと作曲でも出来そうだ。では、なぜ絵を選んだのか? 何がこんな風にしてしまったのか? そんなことを考えると実に惨めだ。

 私は大きな絵を作りたい、大画幅を描きたい。
 私は画題を考えている。……そうだ、画題は古代にとろう。ユリス(オデュッセウス)が、ファアシア人の王なるアルシノオスに自分の冒険談をしているところにしよう。アルシノオスと王妃は王子たちや若人らに取り巻かれて玉座に着いている。場面は紅の大理石の円柱のある回廊で、王女ナウシカアーは両親の少し後ろになった円柱の1つにもたれて、勇者の物語に聞き入っている。それは饗宴の後で、詩人デモドキュスの歌の済んだところで、詩人はずっと奥の方で、たて琴をひざに乗せて、もう用なしになった歌い手らしい手持ちぶさたで外面を眺めている。すべてそうした中に、さまざまの姿態があり、集合があり、また構図がある。
 その点で私は困っているのではない。それに大体これでよいだろうから。ただ仕上げることになると恐ろしい。
 私は何にも知らない、何にも、何にも! 家具類も、衣装も、その他の装飾品も。それに、こうした大掛かりなものを作り出そうとするには、さまざまな研究が必要である。……そうしてトニー・ロベール・フルリの資格とか……何とか呼んでいるところのものを知らねばならぬ。
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by bashkirtseff | 2010-07-28 08:04 | 1883(24歳)
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