1883.05.18(Fri)

 私は装飾用の鏡板に、春を描こう。1人の女が木に寄って、目を閉じ、美しい夢の中にいる者のごとくほほえんでいる。その周りの景色はいかにもデリカで、青草は柔らかく、バラは青みを帯び、リンゴも桃も花盛りで、木の芽も吹こうとしている。そうして魅惑に満ちた色彩で春を忍ばせるのである。
 春を誠実に描き上げた者はかつてなかった。なるほど春景色を描いた作品は最近にも数々ある。しかしそれは老人や、洗濯女や、らい病患者などを混ぜ込んだものだ。私は、断然、「魅惑ある」色調をもってしたい。
 幾千という数知れぬ春は描かれた。でも手先の器用さを見せた下絵のような景色ばかりであった。私のように考えるかも知れないと思われるものは、バスティアンをおいてほかにはない。その彼もまだそうした春は描いていない。──その女は、調子と、芳香と、小鳥の歌とのあらゆる諧調が分かる様子をしていなければならぬ。そこには太陽が輝いていなければならぬ。──バスティアンは陰になっている灰色がかった戸外を描いたばかりだ。
 私はそこには日光を欲する。そうして私はそれをニースへ行って、どこかの果樹園で描こう。もし非常に詩趣のある果樹園が見つかったら、女は裸体にするとしよう。
 ちょうどグラナダ辺で見るように、ここにかしこに太陽の光斑をおき、スミレの草むらの間に分けて彼女の足元を流れ行く小川のささやきを耳に聞かせるようにしなければならぬ。
 私は春には歌って魂に染み入るような調子を要求する。私は肌触りが柔らかくて人目を奪うような青草と、青みがかった蠱惑(こわく)に満ちたバラと、灰白でない黄色みとを必要とする。
 たえなる調べの饗宴。それは人目を奪うような色彩を持って描かれ、加うるにここにかしこに投ぜられる太陽の光斑は画面に生命を与え、陰影にはそこから一種の神秘が始まるかと思わせるようにしなければならぬ。
 お分かりになって?
 でもバスティアンは若い女の埋葬を描いている、あるいは描こうとしている。さて、もし彼が怜悧な人だったら、彼は私が夢見ているような景色をその背景に使うだろう。──私は、彼がそれほど見通しが利かなくて、私たちにあの嫌な緑の景色をごちそうしてくれるのを望む。……そうは言っても、彼がこの画題で崇高な画面を描き出さなかったら、私はやっぱり口惜しく思うかも知れない。
 だから私は、彼がそうした点に思い至ってくれなければよいと思っているくせに、また私と同じ考えを持つようにとこいねがってもいる。……私なら、この少女の葬式は花咲く野道を通らせる。そうして花盛りの果樹や花びらのこぼれたバラを添える。またその対象として前景には粗野な顔をした百姓たちをあしらう。一切の詩はひつぎと自然との中に秘めておくことにして。
 彼に向かっては、何にも言うまい。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-07-23 08:06 | 1883(24歳)
<< 1883.05.20(Sun) 1883.05.18(Fri) >>