1883.04.27(Fri)

 トニー・R・Fが昨日訪ねてきて1時間いた。皆が私の大きな絵について話した。そうして上に述べたトニー・R・Fはまじめな不安を発表した。
 彼は私に子ども6人の絵を描くように非常に励ましてくれた。それは非常に難しい。けれども結局私は模写するよりほかにはない。──人は模写するよりほかに何にもすることはない! ──模写? それは口で言うことは容易である。けれども芸術の成心なしで、内部思想なしで模写するのは間違いである。そうではなくしてちょうど目と同じように心を持って模写することが必要である。私はそのことをトニー・R・Fに言いはしない。彼はそのことを理解するであろう。けれども彼は私が極力排斥している古典的表現の思想をその上に付け加えるであろう。結局、彼の言うところは、……その部類の絵には、私が考えてみようと思わないようなものがたくさんある。例えば、服装模写など、…… Quesaco?
 ──本当にね、ムッシュ、私は服装模写を致しましょう。服装模写というものがございますのね。私はちょうど近代の着物を描きたいのでございますから。
 ──それはおかしいですね。
 ──なぜでしょう? 私の描こうと思っている人間は生きている近代人ではございませんか?
 ──それはそうです。でも芸術には知らねばならぬことがまだたくさんありますから。とにかくあなたは服装模写などをしてはなりません(!!!)あなたはそれを整頓しなければならないのです。
 ──私が、芸術家なる私が、1883年の服装を私自身の好きな通りに整頓することが出来ないのでしょうか? 私は選択することなしに模写しなければならないのでしょうか? 選択ということは芸術家の特権の1つではございますまいか?
 ──その通りです。でもあなたはあなたの絵が自然に出来ているとは思わないでしょう。
 私は答えない。何かつまらないことを言うようになるかも知れないから。けれども……私の絵は自然に出来上がるようなことはないであろう。ああ! 全く。それがどうしたと言うのだろう?
 しかし私の絵は私の頭の中にある。そうして自然はそれが出来上がるように私に仕向けてくれるであろう。……
 これらはすべてある一定の感情に支配されることは明かである。──もし私がこの感情を持っているとすれば、すべてはうまく運ぶであろう。けれどももしそれを持っていないとすれば、服装の研究をいくらしたところで私は何物をも得ないであろう。
 私は想像しているような風景を1つ描きたい。それは複雑なものではない。
 それから私は2人の女の絵が描きたい。その女を私は探し出した。──1人は色が青白くて、驚くべき美しさである。今1人も非常に立派である。
 それから? それから私はどこか田舎のある場所を探さねばならぬ。そうして良いお天気が望ましい。そうして風景の方は習作を南から持ち帰った後でも描ける。
 それから? 困難は今年中にそれが出来ないだろうということである。
 私は11月になったら行けるだろう。そうして、そこで出来上がらなければ、来年の夏まで待たねばならないことになるだろう。
 今私はそれが美しく出来るだろうという拒みがたき強い信念を持っている。そうして人が愛をもって仕事をするときは、10倍も力が増すことは確かである。
 ある衝動がほとんどすべてのものを作り上げうるように私には思われる。私はその証拠をあなたに見せましょう。例えば、6、7年間私はピアノのけいこをやめていました。そうして時々1つ2つの曲を弾いてみることを除いては、もう何カ月もそれに触れないでいた。そうしては急に、1年に1度くらい1日に5、6時間も弾くことがあった。こんな状態の下において、指は利かなくなってしまう。それで私は人の前では何にも弾くことが出来ない。学校の女生徒でも私を打ち負かすことが出来るであろう。
 しかるに、もし私が例えばショパンの行進曲とか、ベートーベンの行進曲とかいったような傑作を聴いて、それに心を奪われて、数日たって、あるいは2、3日たって、それを弾いてみたくなって、そうして1日にせいぜい1時間ばかり弾いてみるだけでも、私は全く見事に成功する。例えばコンセルヴァトワール(パリの音楽学校)で1等賞を得た実力のあるヂュソオトアのごとくにも弾ける。
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by bashkirtseff | 2010-07-06 08:14 | 1883(24歳)
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