1883.03.27(Tue)

 私は「オデュッセイア(底本:「オヂセエ」)」を今まで見ていた。ホメーロス(底本:「オメエル」)は私の想像していたようにあの場を書いていない。それは前の事件の論理的な避け難い結論として来るのに相違ない。けれどもホメーロスはそう書いていない。しかしオデュッセウスがナウシカアーに会ったときの、称賛と感動に満ちた話は、彼女を刺激したに相違ない。その他のことをば彼女は連れの者に話している。
 彼女は彼を神と間違えた。そうして彼は同じ礼儀を返した。……それがそのときの事情である。
 私はいま一度ユリスの言葉を読んでみようと思う。彼が若いファアシアの娘たちの前に裸体で現れたときに、彼らは皆逃げ出したが、ナウシカアーだけは残った。
「こんな勇気のあるのはミネルヴァ(知恵と戦いの女神)に違いない。その老いたる、しかしまだ美しかった戦略家は着物と保護と望んだ。そうして彼はナウシカアーをディアナ(狩りの女神)に例えた。従って彼女は背が高くてきゃしゃで、ほっそりしていたに相違ない。──そうして彼女の目は彼女のような人を見たことがなかったと彼は言った。──そのとき彼は彼女をまたシュロの木の幹に例えた。そのシュロの木というのは彼が大勢の供を従えて旅行したとき、デロスのアポロンの殿堂のほとりで見て、驚いてものの言えなかった木である。そうしてその旅行が彼の最大の不幸の原因であった。
 そんな風に彼はわずかのことに最も美しい褒め言葉を彼女の上に注ぎかけ、自分を詩的な、荘厳なまた不幸な元となるべきもっとも強い興味の光の中に現した。彼は神々の罰を受けたように思われた。
 私の考えでは、この若い娘は、知恵と美しさで神にも等しいほどであったけれども、法外の感情を起こしてはならないということは不可能であった。ことに今までの、空想によって鋳込まれた心の型の中に入っていた場合においては。
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by bashkirtseff | 2010-06-29 08:17 | 1883(24歳)
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