エミル・バスティアンが私たちをヴィル・ダヴレエのガンベッタの家に連れて行った。その家で彼の兄は仕事をしていた。
人は自分の目でそれを見るまでは、誰もかくのごときみすぼらしい室内を考えてみることは出来ない。──質素という言葉ははなはだ不十分にそれを表現するであろうから。台所のみが唯一の愉快な部屋である。 食堂は小さくて低くて、どうしてあの棺がこの部屋に入ったり、大勢の有名な人たちがその周りに集まったりすることが出来ただろうと疑われるほどである。 客間はいくらか大きいが貧しげで、すべての心地よさを欠いでいる。粗末な階段が寝室へ通じているが、私はその寝室を見て驚きかつ腹立たしくなった。私がこの手で文字通りに天井に届くようなこのみすぼらしいかごの中に、6週間もガンベッタのような病人を寝かしておいたのであった。そうして冬は窓を閉め切ってあった。ぜんそくにかかったしかも負傷した人を! 彼が撃たれたのもこの寝室であった。──粗末な安っぽい紙と、汚い寝台と、2つの写字台と、窓と窓の間の繕いをした鏡と、古ぼけたみすぼらしい赤い毛織りの窓掛けと。──貧乏書生の下宿屋でもこれより悪くはないだろう。 あれほど多く悲しまれたこの人は決して愛されたことがなかった。ユダヤ人、株屋、山師、会社設立者などに取り巻かれて、彼は彼自身のために彼を愛するもの、もしくば彼の名誉のために彼を愛するものを1人も持たなかった。 しかし彼はこのみすぼらしい不健康な箱の中に1時間だって残される必要はなかった! 1時間の旅行の危険もこの恐るべき小さい部屋の中に空気なしにじっとしている危険に比較されうるだろうか! 彼は少しも震動なしに布団の上に運ばれることが出来たであろうに! ヴィル・ダヴレエ、あるいはむしろ les Jardies と言った方が良いかも知れない。それはア・ラ・バラスの小さい家か何かのごとく、日記の中に描かれてあった。この人はのんきとぜいたくで夢中になっていたように言われていた! 何という不名誉なことだろう! バスティアン・ルパージュは寝台の下の方で仕事をしている。すべてのものがそのままになっていた。シーツは死骸を現す羽布団の上にしわを寄せていた。版画では寝台に大部分を占領されているこの部屋の釣り合いが味われない。寝台と窓との距離は後戻りすることも出来ないほどである。寝台も絵の中では切り取られて、その脚は見えなくなっている。絵は忠実そのものである。頭は仰向けになって、4分の3の顔面で、苦悶の後の何事もない表情で、すなわち現在の静寂と、及びすでに次の世界のものとなっている静寂の表情である。実際に彼を見るような心持ちになる。伸ばされて、横たえられて、覆いを掛けられて、すでにその中から生命が逃げ去ったところの体は誠に驚くべきものである。 それはあなたがよろめくような感動である。 バスティアンは非常に幸運な人である! ──私は彼の面前において少し当惑した。25歳の青年のごとき体格を持って、彼は偉人──例えばヴィクトル・ユーゴーのごとき人に見るがごとき善意にして気取るところなき朗らかさを持っている。私は彼を結局美しく思うようになるであろう。とにかく彼は有力な人たちの無限の魅力を持っている。しかも誇るところもなく、偽るところもなしに。 私は彼がヂナと話しながら仕事をしているのを見た。他の人たちは次の部屋にいた。 壁にはガンベッタを殺した弾丸の跡があった。彼はそれを私たちに示した。この時、この部屋の静けさ、ゆがんだ花、窓から差し込む日光、要するに、それは私を泣きださせた。……けれども彼は背中を向けて、絵に夢中になっていた。それで私はこの熱心を邪魔しないために、いきなり彼と握手して急いで出て行った。私の顔は涙に覆われながら。──私は彼がそれに気付かなかったことを希望している。──全く愚かなことである……全く愚かなことである、人がいつも結果のことばかり考えているのは。
by bashkirtseff
| 2010-06-18 08:14
| 1883(24歳)
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