1883.01.06(Sat)

 私たちはセルビの公使で、公爵夫人カラゲオルゲヴィチの義兄なる、リュウ・ド・リヴォリ240番地に居住するマリノヴィチの窓から葬式の通過を見ようと思う。これより良い場所は得られそうもないから。
 3時に棺が動きだしたという大砲の合図があった。私たちは窓際に出た。
 馬車は──乗馬のラッパ手を先立て、軍楽隊は弔いの行進曲を奏しながら、また3つの大きな車に花輪を満載しながら、進んでいくのを見ると──失望に近い一種の驚きを私に起こさせた。──それを制作したバスティアン・ルパージュ兄弟のつれないただし正しい言葉。──この壮大な光景が私の目にもよおさせた涙の間から、私は2人の兄弟が彼らの制作品のそばを歩いているのを認めた。建築家の方は兄に首位を譲られながらも、自分ではその名声を得たいという必要はなく、そっと棺覆いの綱を持っていた。馬車は、苦痛で押しつぶされたごとく低かった。──そうして1枚の黒いビロードをかけて、偶然そこに投げかけられたごとくに2つ3つの花輪が置かれ、紗の覆いがしてあり、棺は国旗に包まれてあった。……私はもう少し威厳のあるものが見たかった。おそらく私が宗教的儀式に慣れていたためであろうが……要するに、彼らは、はなはだ当然なことではあるが、日常普通の柩車をば避けて、トロイに持ち帰られたヘクトルの死骸(しがい)を思い起こさせるような、古風な馬車を模倣したかったのである。あなたは3つの花車と人の手に持たれた数個の大きな花輪の通った後で、それで十分だと思ったでしょう。けれども、その3つの花車は後から続くもののために見えなくなった。誰でもが言ったように、花と喪章の付いた国旗と、花輪の行列がこんなに並んだことは、これまで先例のないほどであった。
 私はこの壮観に全く打たれたことを恥ずかしい思いなくして承認する。誰でも感動させられ、興奮させられ、過労させられる。同じことを幾たびも繰り返して言うために、残された言葉はもう一つもない。さらに、という言葉がある? そうだ、さらに、さらに。あらゆる形の、あらゆる色彩の、あらゆる大きさの、信じられないほどの、これまで見たこともないような花輪の宝冠。愛国的の文字を記して、紗の間から金の房を垂らした旗とリボン。花の雪崩、念珠と房、日光に揺らめくバラの花床、スミレとヤマハハコの峰、それから合唱の一団──、あまりに急調で遠く悲しみの音色に消えうせる弔いの行進曲、それから往来の砂利の上の歩調の音、それを私は涙の村雨の音にも例えたい。……それから花輪を持った名代の人たちが通っていく。委員たち、教会たち、パリ、フランス、ヨーロッパ、商工業、芸術、学校文明と知識の花。
 それから紗で包まれた太鼓が通る。沈黙の印象的な期間をおいてラッパの大きな響き。
 救護班は喝采される。学生たちも喝采される。学生たちは例えば「われわれの間にもこんな人がいる!」とでも言うがごとくにあいさつする。それからまた弔いの行進曲。それからまた花輪。最も美しいものは称賛のささやきで迎えられる。アルゼリ人に対する喝采がある。ベルヴィユが通ったとき私は私の多分に持っている同化作用と感激の能力とによって、同情的の誇りを感じて、それが私の目を曇らせた。けれどもアルサス・ロオレエヌの諸都市の記念の花輪が現れて、喪章を付けた3色旗が翻ったときには群衆の中に興奮が起こって人の目に涙を湧き出させた。行列はまだ進んでいる。花輪は花輪の後に続く。そうしてリボンと花は紗の覆いの下から日光に輝いている。
 葬式ではない。凱旋の行軍である。私にはなぜ apothèose〔神にまつられる〕とは言わないのか分からない。全国民が棺に従っている。フランスのすべての花は切り取られて44歳で無残の最期を遂げた天才のためにささげられた。彼は現代のあらゆる向上心を代表し、この国の青年の全生活を自ら占有し、また自らの人格に結合した人であった。──彼は新人の詩であり、芸術であり、希望であり、頭脳であった。
 44歳で死んだ。わずかに報復と偉大の彼の事業のために、地盤を準備すべき時をもって。
 この信ずべからざる稀有(けう)なる行列は、2時間半も続いた。そうして最後に群衆がまた接近した。無関心な、喧噪な群集が。もはや最後の胸甲騎兵たちの馬が驚いたのを面白がるよりほか何事も考えていない群集が。これまでこのような光景は1度もなかった。楽隊、花、団体、子どもたち、それらが軽い霧と日光の中である apothèose の像かとも思われた。この金色の空気と花は人をして若い神の葬列を思い出させた。……
 政治のことを別にしても、私は全世界が彼に対して優しい愛情の情を示しているのを見る。彼は全国民の友人であり知的伴侶であった。共和制であり、パリであり、フランスであり、青年であり、芸術であった。私は主要な装飾が取り離されて、記号とちぎれた糸のみの残っているのを見るような心持ちがする。
 ああ! 花、花輪、葬送行進曲、旗、代表者、名誉、それらのものを彼の上に降り注がせよ、性急な、防音的な、不公平な国民たち! 今すべては終わりを告げた。かの光輝ある英知の驚くべき遺骸を納めたる棺をば3色旗に包め。あなた方は実際この不具となった死骸を尊敬せねばならぬ。この精霊の生涯の最後の年を毒殺したあなた方は! すべては終わりを告げた。今や残されたものは彼の墓穴の前にぼうぜんとしている侏儒のみである。ガンベッタがすべてを飲み尽くす、彼が天才によって有名になったために自分たちは栄達の道を妨げられた、といった人がどれだけたくさんあることだろう! 今あなた方には余地が出来たでしょう? 大いに技量を示しなさい、嫉妬深き無能な凡人たちよ。彼は死んだけれどもあなた方には変化はないでしょう。
 私たちは3時ごろ出た。人は皆左へ左へと行く。シャン・ゼリゼは灰色になって人けがなくなっている。ついこの間までこの人はそこを駆けらしていた。あの質素な馬車で。華やかに、若々しく、活力に満ち満ちて。そうして盛んに非難を受けながら。悪い信念は至る所にあふれている! 聡明な正直な博識な人たちは、フランス人は、愛国者は、ガンベッタが攻撃された悪評を心から信じることは出来なかった。
 代議士としての彼の議席はすでに上院の一箇の昆虫によって使用されているということである。してみると、彼がこの議会の演壇に対して、また花で振りまかれたり、燭台で飾られたり、また窓のように長い黒い紗で覆われたりした階段に対して、名誉を与えた人の記念をかく乱暴に侵すことに反対する人は1人もないのである。
 この覆いは天才の発明であって、これ以上の戯曲的装飾は思い付かれることは出来ない。その効果は著しいもので、人に感激を与え、危険にひんした国家の黒い旗のごとく、冷却と恐怖の印象を与える。
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by bashkirtseff | 2010-06-16 08:03 | 1883(24歳)
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