1882.12.05(Tue)

 私は「オノリーヌ」を1度に読み終わった。そうして私はペンの崇高な雄弁を持ちたいと思った。私の書いたものを読んだ人に私のつまらない生活に興味を持たせるために。
 もし私のこの失敗とこのつまらない生活の記録が、私の求めている名声を与えてくれるとしたならば、それは不思議なことである。けれどもそのときには私はそれを知るはずはない。のみならず、人がこの日記を読んでこの日記の中にその人自らの道を見いだし得るためには、私がまず何者かであることが必要ではなかろうか? ……
 不確実と失望が私を怠惰にさせる。言い変えれば一夜中読書をさせる。その後で私は激しい後悔を感じる。けれども私は全く1人きりでいるか、でなければ家族の者と一緒である。それで私はばかになる。
 私は書きながら一言一言に注視している。なぜと言うに、私は私の経験したこの恐ろしい悩みと喪心と、恐怖を言い表すべき表現を見いだし得ないから。
 何事があったというのか? 何事もなかった。
 それではどうしたというのだろう? 私はただ10年生きて、急に才能が出来て私の空想を実現することが出来れば、喜んで満足するだろう。
 2、3日前私はオテル・ドルオットへ行った。そこには宝石の陳列会があった。母と叔母とヂナはいろいろの宝石を賞嘆した。けれども私はそれを皆嘲笑した。ただし驚くべき大きなダイアモンドの列だけはちょっと欲しくなった。けれどもそんなことは考えるべきではない。それで私は他日ある百万長者と結婚でもしたら、このくらいの大きさの耳飾りを持つか、しかし耳飾りには重すぎるから胸飾りにするかも知れないと考えて、それで満足した。──それは実際私が宝石というものを理解した最初であった。──ところが! 昨日の夕方その2つのダイアモンドは私のところへ持ってこられた。母と叔母が私に買ってくれたのである。私はぜひ手に入れたいと思ったのではなく、ただ「これだけはちょっと欲しいわ」と言ったきりであった。それは2万5千フランであった。色は黄色であるが、黄色でなかったら3倍はしたであろう。
 私はその晩一夜中彫塑を作りながらそれを隠しに入れて喜んでいた。ヂュソオトイはピアノを弾いていた。ボジダアルとほかの人たちは話をしていた。この2つの石は私の寝台のそばで夜を明かした。私は座っている間もそのそばを離れなかった。
 ああ! 何でも不可能に見えるものがこんなに手に入ったなら! ……例え黄色であっても、また2万5千フランの代わりにたった4千フランであっても!
 しかしこの大きな悲しみは言われなきことである。これは誰にも訴えられないことである!
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by bashkirtseff | 2010-06-08 08:10 | 1882(23歳)
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