1882.09.22(Fri)

 昨日私は漁夫の絵をR・Fのところへ持っていった。──悪くはない。しかしそれだけである。彼の意見によると、それは大層良くまとまっていて、首の表現も大層良く、画布の上に良く置かれている。けれども絵の具が薄く、縁が堅く、人物が空気にひたっていないと言う。この批評はR・Fの批評でももあれば、私自分の批評でもある。私はそれを良く知っていた。そのとき私は私の進歩と勉強のことについて話した。そうしてついうかうかと私の失望と、自分でも何らの自信を持ち得ないことを白状してしまった。……私はお昼まで座っていた。R・Fは彼がジュリアンと私の話をして、私の計画や野心についていろいろ話したという話をした。実際、昨日彼は私を哀れんだのである。そうしてジュリアンと2人で、私はアトリエで何か簡単な仕事をした方がましで、外光の骨の折れる仕事は私の現在の力には荷が勝ちすぎる、そのために失望するのだということに意見が一致したそうである。彼は私の感情をおもんばかって、非常に注意深くそれを話したので、私は泣きだしそうになった。彼は私が老漁夫の絵で成功しなかったから失望しているのだと思っているらしい。その絵の成功はジュリアンが私に期待させていたので、彼はその失望から私を救い出したいと思っているらしい。それで彼は、誰だって急速な進歩をするものではないということと、私は非常に良く進歩しつつあるということをいつものように話して、自然が許す以上に早く進もうとしている私の焦慮を心から笑っていた。昨日も彼は、私には驚くべき才能があるということと、ただ進みさえすればよいということと、何事に対しても昨日愚かな愚痴をこぼしたかと思うと今日はぼうぜんとして暮らして、それきり奨励を信じなくなってしまうと言った。私は私自らをあまりにつまらないものにしてしまって、それが憐憫であるということも信じなかったのである。
 私の絵に関しては……その話を私はしようとさえしなかった。例えば、空気がなまりとなって私の顔の皮膚を地上に引き付けるかとも思われて。……
 この2人の人は、私が不平を訴えて、愚かにも私の野心の大きいことを示して以来、それは私にとって楽しみでも慰みでもなく、私は絶望に陥っていることを知って、思慮ある忠告以外には、何物をも私には与え得なくなった。彼らは2人の忠実な医者のごとく、私に有効な療法を命令する。これによってみると、私は顔1つも描けないものらしい。……つまり絵は描けないものらしい。アトリエのけいこはいつも十分良いにもかかわらず、……私はあの老漁夫の絵に愚かな希望をかけながら結局苦悩しなければならなかったのである。……私にはもう真実はつかめないのであろう。それで……ブレスロオは? ブレスロオは2年半も私より先に出た。それは何を実証するか? 何にも実証しない。2年前に彼女は、今の私よりも進んでいた。彼女は6年半絵を描いている。私は4年にしかならない。ただしどちらの場合にも私は描くことをば勘定に入れていまい。だから1884年に私がブレスロオほどのことが出来ないならば、私は彼女に劣っているのである。
 私はそのことは聞かなくとも分かっている。丸1年間私は殉教の苦を受けた。実際、残酷な苦難であった。自信と勇気と希望の喪失であった。私は何にもならない下らない確信を持ってただ仕事をしていたのである。それが私をまひさせる! 良い絵を描くよりほかに再び私を高めうるものは何にもない。……しかもそれはこんな精神的不幸においては不可能なことである。
 実際、考えなければならぬことはただ1つである。それは私が老漁夫を良い絵にすることが出来なかったことである。私は幸運にも独創的な、興味ある、芸術的な題材に手を付けながら、何物にもすることが出来なかった。それが忌まわしい。
 私は疲れ果てている。すべては終わりになってしまった。私の全存在までが滅ぼされている。……そうして私はこの恐怖の情を表現する言葉さえ持たない。ペンを取る力さえなくなった。……今から弁解すれば、そのときは雨が降った。私が絵を仕上げようとするといつも邪魔された。実際、私はまだ人に見せるまでに行ってない絵を持ち出さなければ良かった。けれども私は仕事を続けることは出来なかったので、忠告をしてもらいたかったのである。
 そのときトニーは私の頼りなさを見て、外光は私には骨が折れすぎると言った。……明日私はグラン・ジャットに帰って、絶望の精力と怒りを持って再び始めよう。
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by bashkirtseff | 2010-05-27 08:09 | 1882(23歳)
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