1882.09.06(Wed)

 私は芸術家ではない。私は芸術家になりたいと思って、自分でも聡明だからいろんなことは学んだが。……してみると、ロベール・フルリが私の始めたころ、私は学んで得られない物を持っていると言った言葉は何と説明すべきであろう。彼は誤解していたに相違ない。
 私は芸術上のことでも、そのほかのことでも、聡明と熟練を持ってする。それだけに過ぎない。それならばなぜ4歳の年に田舎の家のトランプ台に白墨で人の首を描いたりはしたのだろう?
 子どもは誰でも絵を描く。しかし絶えず描きたいとか、版画を模写したいとか、なぜ思うのだろう? まだロシアにいたころから、その後11歳になってニースに移ったころから? そのころ私は絵の才能があると思われていた。それで教師について2年ばかりけいこをした。
 私はいつも健全な指導を望んでいたので、その他にも2、3人の教師を持った。そうして2、3のけいこを受けた。言い変えれば、皆と2、3時間くらいは一緒に仕事をした。
 実際……考えてみると、私はいつも絵を学びたいと思っていた。そうして努力したけれども指導してくれる人はなかった。それからイタリアの、ローマの旅行が来た。小説に書いてあるように、芸術の美を鑑賞することは予備的指導がなくては不可能である。しかし私は白状する。私は絵の美を、品質を、次第に徐々に鑑賞するように目が開いてきた。……その結果……私は自信を失い、勇気を失った。私は不具である。私は色の美を鑑賞することは出来る。けれども、正確に言って、自分でそれに到達しているとは言えない。なぜならば、色においても仕上げにおいても良いものは2つ3つきり描いていないから。もし良いものが幾つでも出来たとすれば、まだ出来るわけである。……そう思うと勇気が出る。……私は芸術としての、画家としての自分の役目にさよならを告げようかと思っている。言い変えれば、私はそれほど絵がまずくはないけれども、彫刻家になった方が成功するだろうと思っている。……私は色では表現の出来ない……形、動作、姿勢のある概念を持っている。……
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by bashkirtseff | 2010-05-24 08:10 | 1882(23歳)
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