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1882.08.29(Tue)

 この書物はすっかり私を覆してしまった。ウィーダはバルザックでもなく、ジョルジュ・サンドでもなく、デュマでもない。彼女は専門的の理由から私を熱病にかからせた1冊の書物を書いた。彼女は非常に正しい芸術上の概念と意見を持っている。それは彼女が住まっているイタリアの多くのアトリエにおいて集められたものである。
 例えば彼女はこんなことを言っている。画工ではなく真の芸術家の間においては、思想は完成の力量よりも無限に優れたものである。大彫刻家マリクス(小説の中の)は若い女主人公の模型を作る最初の努力を見て、こう言っている。「彼女を来させても良い。彼女はどんな仕事でも出来るようになるだろう。」トニー・R・Fも私がアトリエで絵を描いているのを見た後で言った。「続けなさい、マドモアゼル、あなたは何でも出来るようになります。」
 しかし言うまでもなく私は正しい方向に向かって仕事をして来たのではなかった。サン・マルソオは私の絵を彫刻家の絵だと言った。私はこれまで何よりも形が好きであった。
 私はまた非常に色彩をも愛する。けれどもこの小説を読んだ後では──その前からでさえも──絵の方が彫刻より非常に劣るもののごとく思われる。その上私はそれを憎まねばならぬ。すべての模倣と、すべてのごまかしを憎むと同じように。
 私は浮き彫りを見るときほど腹立たしくなることはない。それは本来平面で滑らかであるべき画布の上の絵を模倣したものであるから。上は芸術上の最上のものから、下は色付けの壁紙に至るまで、レリーフの絵ほど嫌なものがあるだろうか! 私にとっては、それが赤いきれが雄牛におけるがごとくである。ルーブルにさえあるが、天井に絵で似せて描いた枠とか、室内の壁板に木彫りまたはレースのすそ飾りをまねてあるものとか、それらは実に嫌悪すべきものである。
 しかし何が私を引き留めるか? 何にも引き留めない。私は私の貴族的幸福に対して何物も欠乏していないような状態において生きている。2階全体が私のものである。前部屋と化粧部屋と寝室と書斎と、いつでも必要な一方から盛んな光線が入ってくるようになっているアトリエと、仕事や散歩の出来る小さい庭と。人に訪ねてこられて仕事の邪魔をされないために、また私がいちいち下へ降りなくて済むように、通話器が備えてある。
 私の描いている絵は何であるか? 1人の小娘が黒い女ばかまを肩からかけて、傘を開いて持っている。私は戸外で描いているのであるが、ほとんど毎日のように雨である。それから……それはどのくらい重大なものであろう! 大理石で表す思想に比べると、それは何であるか! 3年前の私の下絵、それは1879年10月の日付になっているが、それに対して私は何をしているか? この画題はジュリアンのアトリエで私たちに与えられたものであった。それを私は、墓場の神聖な女が気に入ったごとく気に入った。──アリアアヌ! ──ジュリアンもトニーもその感情は良いと言ってくれた。私は今の絵が気に入っているごとくそれが気に入っている。この6年間私はいつもこの題材で彫刻をけいこしたいと思っていた。……私は俗なものに面を向けるだけの力を欠いでいる。……「何の目的で!」という恐ろしい考えが私の翼をもぎ取ってしまう。
 ──テゼエ(テセウス)は夜の間に逃げた。アリアアヌは明け方にわが身1人となれるを知りて、島中のあらゆる方向へ駆け回った。そうして太陽の最初の光と共に、彼女が岩の端に出てみると、水平線の上の一点のごとき船を認めた。……そのとき……それが捕らえるべき瞬間であり、描くのに困難な点である。彼女はそれ以上進むことが出来ない。呼びかけることも出来ない。水は彼女の周りにある。船はあるかなきかの一点になっている。彼女は頭を右腕に伏せて岩の上に倒れた。それは遺棄と絶望のあらゆる恐怖を示す姿勢である。私はいかにそれを表すべきかを知らない。けれどもそこには私を力強く捕らえる気抜けした怒りと絶大の喪心がある。あなたも理解しうるに、彼女は岩の角に倒れて悲しみと気抜けした怒りに根気を疲らしている。そこには全くの見捨てられがある。すべてのものの終局がある。……この険しい岩と、この無上の力と……それは威力をもその他のものをも皆捕らえてしまう……ついには!
 しかり、透視法に心を奪われることは1つのごまかしであり、調子とか色彩とかに心を奪われることは哀れなことであり、職人のすることであり、それが、少しずつ次第にすべてを吸収して、思想に対する余地をなくしてしまう。
 絵における思想家と詩人は、第8級の匠人である。私はどうしてこの真理を誤解して、こんな異常な勢力を持ってそれを固執すべきであろうか? ……
by bashkirtseff | 2010-05-19 18:04 | 1882(23歳)
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