1882.08.22(Tue)

 ロザリを連れてマルセ・デュ・タンプルへ行った。私の目は驚きを持って今でもまだ広く開いたままである。実に驚くべきところである。私はアトリエ用の古いものを少し買った。けれどもさまざまな型の人間を見たよりほかに何にもしなかった。おお! 市街! もし見るほどのものを絵にすることが出来たらどんなに良かろう! ……ああ! 私は見る能力をば持っている。けれども見たものに幻惑されてしまう。態度と挙動、行為の中に出ている生活、真実でかつ生きている自然。おお! 自然を捕らえて、それを絵にする方法が知りたい?
 これは大問題である。おお! なぜ私にはその力が得られないのだろう? ……トニー・R・Fというあの人が、「マドモアゼル、あなたの熱心があれば、私は大家になれるどんな仕事でも出来ます」と言ったのは事実である。
 それで私はまた入って来て自分の見たものを描いてみた。往来の1つの腰掛けに数人の小さい女の子が集まって遊んだり話をしたりしている。子どもたちの顔の集合が面白い。その次にカフェの食卓に2人の男がかけているが、その態度に特色がある。私は頭をこごめて画布の上に写生した。カフェの主婦は戸口の陰に立っている。
 その次にタンプルの絵、非常に美しい娘が、自分の店に、花輪の店に立って笑っている。この絵はアトリエででも描ける。けれども前の2つは外気を要する。……私はなぜこんなことを言っているか分からない。明日から……いや、それは夢である。
 要するに、不注意の間に捕らえたこれらの瞥見(べっけん)は人間の生活に向かって開いている窓のようなものである。それによってこんな人たちの生活とか、性格とか、日常の挙動とかを想像することが出来る。それは不思議なことである。実に興味のあることである! しかし! ……
 愚かな人たちは、近代的であるためには、すなわち写実的であるためには、自分の出会った最初のものを整頓することなしに描けばよいと思っている。整頓するな。しかし選択して捕らえよ。それがすべてである。
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by bashkirtseff | 2010-05-18 08:09 | 1882(23歳)
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