1882.08.17(Tue)

 私が最後の座りをしていると、私の画家は画題を考えていた。何か近代的で良さそうな画題を。……彼は描きかけの裸の人物をばそのままにしておくつもりである。「美しいモデルを見つけるのは難しいことだ。」彼にはそれほど困難なことはないと思われるのであろう。……美しい裸の女はヨーロッパでは見つからないとあなたはお思いになるでしょう。……
 私はR・Fは私について極めて正確な意見を持っていると信じている。彼は私のことを私がこうありたいと思う通りに考えている。すなわち、完全に愛想良くて、もっと別な言い方で言うと、極めて若い娘で、まだ子どもで、大人のような話はしても心底は天使のような純潔さを持っている、と。私は彼が言葉の最高の意味において私を尊敬していると信ずる。それで、もし私の前で下等なことでも言ったら私は驚くだろうと思う。とにかく私はどんな話でもするが、……それにはまた幾通りも話し方がある。慣例以外のあるものもあれば、言葉のつつましさもある。私の話し方はおそらく女らしいだろうと思う。けれども……私は隠ゆや成句を整えて用いるから、あることを言ってもそれを言っているとは見えないであろう。例えば「私の絵」という代わりに「私のこさえたもの」と言ったりする。ジュリアンに対してさえも私は「愛人」とか「情人」とか liaison〔関係〕とかいったような言葉は使ったことがない。すなわち、人に良く分かるようなことを話しているように思われる習慣的な言い方をするのである。もちろんそれは良く分かっているが、滑らしてしまうのである。何にも分からなかった日には、面白い話の出来るはずはない。なぜと言うに、対話には多少の悪意と愛の軽い嘲弄が避けられない場合があるから。R・Fと私たちは主に美術のことを話す。けれども……結局は音楽や文学の話になる。
 さて今私は良く分かったが、トニー・R・Fはそれぞれ人の本当の性質によって付き合って、それを非常に自然的なことと思っており、また私がある程度まで打ち明けてかかっても彼は決して私ほどに物を言わない駆け引きを持っている。私は断っておかねばならぬが、あなたはこの日記によって私を判断してはいけません。この日記の中では私はまじめくさってかつ平凡であるが、話をするときはもっと良い効果が出ます。なぜと言うに、話には言葉の感触もあれば、独創的で、新鮮で、絵画的でかつこっけいな暗示もあれば、直喩もありますから。
 私は高慢でばかである。……この学士院会員も私のことを私が自分で思っている通りに思っていて従って私のすべての動機を女優の演出でも見るときのように買ってくれるだろうと信じている。人は自分の長所を大きくするばかりでなく、全然欠けているものまでも持っているように思う。それを認めていただいた上で、私は自分が高く買ってもらえると思うのは愉快なことだと言わせていただきます。実際R・Fとジュリアンに対しては私は他の人たちに対するよりも打ち明けてかかれる。自分が安全な地盤の上に立っているので、他の場合では感じられないような心安さがあるように思われる。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-05-15 08:06 | 1882(23歳)
<< 1882.08.18(Fri) 1882.08.15(Tue) >>