1882.08.07(Mon)

 市街。私たちはロベール・フルリのところからの帰りに凱旋門の周りの並木道を通った。夏の夕方の6時半ころであった。番人と子どもと、走り使いの子どもと、労働者と、女と、これらの人々が皆戸口に立ったり、共同の席にかけたり、酒場の前で話し合ったりしていた。
 ああ、何という立派な絵がそこにあっただろう! 実に立派な絵が! 私は真実について parodie〔作り替え〕を志すことはしたくない。それは粗野な人のすることである。この世の中においては、真実にのみ立派なものはある。大家はただ真実によってのみ偉大である。
 私は街路を見て驚いて帰ってきた。いわゆる自然主義なるものを嘲笑する人たちはそれがいかなるものであるかを知らないのである。だから愚人である。それは自然の働いているところを捕らえることである。何を選択すべきかを知って、それを捕らえることである。選択の力が芸術家を作る。
 私の肖像画は何と言っても平凡である。私は白いモスリンの着物を着て、大きなひじ掛けいすにかけている。姿勢は十分に光輝があって、何か話しているような顔をして、正面を向いている。甚だしく陳腐である。
 また街路のことに戻る。……この鉱脈を掘る人があるかも知れぬ。私は田野のことに言及しようとは思わない。バスティアン・ルパージュが田野の方をば最高に支配している。けれども街路の絵にはこれまでまだ1人のバスティアンも出ていない。私の家の庭で大概なものは描ける。
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by bashkirtseff | 2010-05-13 07:53 | 1882(23歳)
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