1882.06.03(Sat)

 コンクールが決定した。まるで冗談みたいで、全体が2級に分けられて、賞牌なし。先生たちは私たちを愚弄しているように思われる。
 3時から5時までの間私たちはサロンの大階段に立って金を集めていた。私は青白いばら色とコケ色の混じったビロードのルイ15世式の服装をして美しく見えた。そこには大勢の人がいた。──私に非常に優しくしてくれる女皇イサベラもいた。それから数人の友達もいれば、同情あるアメリカ婦人もいた。アメリカ婦人は私に20フランをくれた。その上通り過ぎる人たちも私にいくらかずつくれた。私は疲れていないときにはいつも人を惹きつける快活なところがある。3人の若い美術家が私を見ると、慌ただしく相談をしていたが、そのうちの1人が後戻って私に40スウをくれた。金を集めるものは決まって人に避けられるもので、集金者の列の前に来ると皆駆け出すのである。それだけまた非常に面白かった。5時に私は公爵夫人と一緒になった。婦人は私をジンゼエ子爵夫人のところへ連れて行った。子爵夫人は骨董(こっとう)品で詰まった1つのオテルを持っていて、バルザックのいわゆるパリの女王の1つである。それから私は公爵夫人とその孫娘マドモアゼル・ド・シャレットと一緒にボアへ行った。
[PR]
by bashkirtseff | 2010-04-26 07:57 | 1882(23歳)
<< 1882.06.08(Thu) 1882.05.29(Mon) >>