1882.05.20(Sat)

 ああ! 失望してしまう。私はパリに来て以来何をしただろう? 私はもはや excentrique〔奇抜〕でさえもなくなった。そうしてイタリアでは私は何をしただろう! あるときはあのばかなA…にひそかに接吻させたことさえある。それから! その後は? 考えても嫌になる。けれども若い娘たちの多くは同じようなことをした。そうして毎日している。そうして誰もそれを悪くは言わない。私は断言する、これまで私たちのことについてまた私自らのことについてうわさされたようなことを今もし聞いたなら、私は、失神してしまうであろう。それほど、それは人をおしくだく。
 訴訟は不幸であったが、それはもう済んだ。するとまた他のことが起こった。皆が私を攻撃する。……私が自分の部屋で1人で静かにしていると──8時間ないし10時間の仕事をした後で、人々は私のことをどう言っているだろうかと思いながら、私の書物に取り囲まれて座っていると、──私は精神的にこの隠退から引きずり出されて、着物をはがれて、小言を言われて、こじつけをされる。そうされたり、そう言われたりするのは、私から出たことではある。……皆は私はもう25だから、今まで与えなかった独立を与えてやると言う。私は両手をむなしく垂れて、今にも泣きだしたいような心持ちになる。
 昨日、私はG…とバスティアンの弟(エルミ)とボオメッツとでサロンへ行った。バスティアン・ルパージュは虹を見ている小さい百姓の子どもを描いている。それは立派なものになるだろう。私の言葉を信じて下さい。何という天才でしょう、何という天才でしょう!
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by bashkirtseff | 2010-04-20 07:57 | 1882(23歳)
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