1882.04.25(Tue)

 私の不安は十分であったから、私の家族の人たちの心配そうに私の眺める顔を見ることは、その上必要はなかった。これはトニーの言った言葉であるが、ヂナの服装も、結構です、結構です。──海岸に立っている男も、結構です。テレエズの首も、そんなに悪くはない。風景の調子は着物の割合に正しく行っていない、が、小さい方の風景は、結構です。老人は、線は正しいが、単純に行かないで、どこか物足りない。しかし要するに良く出来ました。と言った。それであなたは言うでしょう、それなら満足しても良いではないか? と。ああ! それからまた彼は付け加えて、なお精出して勉強せねばならぬということと、これから私の仕事を良く気を付けて見ていようということと、用事のあるときはいつでも来てくれるということを言った。その後でうちの人たちは私の才能に関する長談義を聞きたいと思って彼に一杯の肉汁(ブイヨン)を勧めた。──けれども、彼は5時にサロンの委員会があるので、(それで彼は今日を選んで来てくれたのである。私たちの家はサロンから近いので、)もう時間が迫っていると言って、マルサラ(シシリのぶどう酒)と肉汁だけを礼を言って食べ、急いで帰っていった。
 帰った後で、私の叔母は彼はばかで、分からない人間だと言った。母もそれに付け加えて、私を失望させるなんてあきれたものだと言った。実際私はうちの人たちが余計な気を揉んでいる間も心配そうな顔をしていたのであった。母親はどこの母親も同じであろうが、しかしそれはかえってたまらないことである。──要するに私はまた泣くような羽目になった。そうして私の哀れな胸の中をここに打ち明けるようになった。
 私は満足して良いはずだった。……ところが私はほとんど打ちくじかれてしまった。母の言ったことが正しいくらいである。……それにはしかし十分な理由がない。……私はあの人に次のように言ってもらいたかったのである。──私の全く喪心することを防ぐために、こう言ってもらうことが必要なのであった。非常に結構です。今度はうまくいきました。大層立派です。ブレスロオと同じくらいの力はあります。いやブレスロオの持っている以上の良い点を持っています。
 これより以下の言葉では、過去1年間絵のために失望していた私を、とても満足させることも出来なければ、救い出すことも出来なかったであろう。実際、彼は海岸に立っている人物を見たときに、結構です、結構ですと言った。それから着物の調子を空と比較して、それも結構ですと言った。また、小さい風景をば何度も見直し、ヂナのパステルと私のパステルも部分的に良いと言い、テレエズの首もそんなに悪くはないと言った。私はそれ以上何を望むべきであろうか。自分でも分からない。……それに初めのうちは彼はあまりに急いでいて、何だか良く見なかったのではないかと思われる。……私は彼が私の異常の才能に対して、長い賛辞を言ってもらいたかったのに相違ない。
 この結構だという言葉はたびたび繰り返されるので、ブレスロオが2年前ブルターニュで描いた小さい絵に対してもそう言ったことを思い出すと、私は満足するわけにはいかない。
 もっとも彼がそれと同じことを、私がニースで描いた小さい絵に対して言ったとしても、……それは同一の価値を持っているとは思えない。なぜだろう? 私がニースへ行く前に、彼はブレスロオの漁村の娘の絵を見て、結構だと言った。そうしてその漁村の娘は入選したが第3位になったので、彼はそんなに悪くもないと私に言った。要するに、私は満足していない。なぜだろう! 第1に、うちの人たちが私の習作に非常な希望を懸けているので、少しぐらいの賛辞では満足しそうもないのであった。その次に、春の天候のため神経がひどく影響されていた。私はいつでも興奮すると、この腕が燃えるような感じがする。それは不思議でならない。博学な医者に説明してもらいたい。
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by bashkirtseff | 2010-04-16 07:55 | 1882(23歳)
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