1882.04.22(Sat)

 否、まあ見て下さい。私が生きていくために必要なものは、大きな才能を持つことでありました。私は決して世界の他の人たちのように幸福にはなれないでしょう。バルザックが言ったように、愛されることと、有名になることと、それが幸福である! ……しかし愛されることは、有名になることの従属的な、むしろ自然的な結果に過ぎない。ブレスロオはやせて、曲がって、やつれている。もっとも顔だけは悪くはないけれども。でも魅力がない。彼女は男性的で、かつ孤独である!
 彼女はもし才能を持たなかったら、女にとして何物でもないであろう。けれども私がもし彼女の才能を持ったならば、パリのどの女よりも優れているであろう。……そうならねばならぬ。……そうなりたいと思う心から、私にはそうなるだろうという一種の希望が見えるように思われる。
 旅行していたり、仕事をやめていたり、忠告や奨励の言葉を聞かないでいたりすること……それは滅亡である! ……例えば支那から帰ってきたような気持ちである。現代のことが分からなくなったような気持ちである。
 ああ! 私は絵ほど好きなものはない。私から見ると、絵はその他すべての幸福と同じものを私に与えてくれる! 誤った職業と、誤った才能と、誤った希望! けれども私は自分を責める。今朝私はルーブルへ行った。そうして自分を責めた。人は誰でも私ほど明らかに物を見ることが出来るならば、自分の見るものを描き出し得べきはずである。以前には私は無知の自覚を持っていた。けれども過去のある期間に私の目は物を見ることが出来るようになった。──今朝その壮麗を私に見せてくれたのはパオロ・ヴェロネーゼ(底本:「ポオル・ヴェロネエズ」)であった。何という色彩の豊富だろう! この壮麗な絵が今まで私の目にただ大きな、退屈な、平凡な、面白くもない絵とのみ見えていた事実を、私は何と言って説明したらよいだろう! ……以前にはただ他人の意見によって尊敬していた名画が、今では私を喜ばし、私を魅する。……私は色彩の微妙な差異を感じる。私はやっとと言うものが分かってきたように思う!!
 ロイスダール(オランダ派の最大の風景画家/底本:「ルイスデエル」)の風景画の1つが私を2度後戻らせた。数カ月前まで私は今朝見たようなものを……真の空気を……空間を……その中に見いだすことが出来なかった。要するにそれは絵ではなくて、自然そのものである。私が今まで見ることの出来なかった美を見うるようになったのは、私の目が習練を経たからである。同じ現象が手にも起こり得ないであろうか。
 私はエスパアニュに行くまでは全く木製であったのが、その旅行のために目から覆いが取り去られたのだと言うつもりではない。……とにかく、私はアトリエで仕事をしなければならぬ。──私はすでに手が自由に動くほどにいろんなことをした。これから私の技巧は一流にならねばならぬ。そうしたら立派な絵が描ける。……
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by bashkirtseff | 2010-04-15 07:59 | 1882(23歳)
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