1881.10.31(Mon)

 私は寒さに追い立てられて喜んでいます。でないと、私は去らなかったでありましょうから。そうしてもうパリへ帰らねばならぬのでありますから。トニーには5カ月も会わない。サロンの絵を妨げられることなしに描くために、アトリエを借り入れることも考えねばならぬ。初めの年は計算に入らなかった。次の年は準備する時日がどんなに短かったかは、あなたが知っておいでになる通りです。その上、画題も私自身のものではなかった。しかし今年は実際、良いものが出せるだろうと私は思っている。
 私はロレンゾオの骨董の店を描きたいと思っている。強い光が階段の一番上に落ちていて、1人の女が台座の上で織物をいじっていると、前景では今1人の女がうつむいて銅器を磨いているそばで、1人の男がそれを眺めて立っていながら、両手を隠しに入れて葉巻を吹かしている。
 その女には2人とも私がマドリッドで買ったような普通のさらさの着物を着せるつもりである。私は必要な着物はたいがい持っている。まだ用意の出来てないものは台座だけである。それは100フランばかりかかるだろう。しかし何よりも大きなアトリエを探し出すことが必要である。……今夜ついに立つことになった。私はうれしくて、歌わないではいられない。
 私のエスパアニュの旅行は、単に食べるために食べていた今までの私の習慣を直すようになるであろう。今までの食事は時間をつぶして知能を鈍らしていた。私は今アラビア人のように摂生家になった。ただ厳正に必要なだけを食べて、生きるに足りれば良いと思っている。
 私がその家を借りて絵を描いていたジタアヌの頭の養子が、今船牢から帰ってきた。彼は13になる小娘を誘拐したために、4年間漕刑に処せられていたのである。
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by bashkirtseff | 2010-02-21 19:17 | 1881(22歳)
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