1881.10.28(Fri)

 今日はグラナダの監獄で過ごした。囚人たちは楽しい時間を喜んで、庭は市場のごとく、戸も堅く閉ざされているようには思われなかった。要するに、この牢獄は少しもフランスの同種類のものとは似通ったところがない。
 私のかわいそうな一人の囚人は終日非常によく座っていた。けれども私はその首を実物大に描いて、その手を1日で写生した(荘厳な天才!)ので、個性の驚くべきあいまいな点をいつもほどに描き出すことに成功し得なかった。もし私が時間が足りなかったからと言って責めを避けるならば、それは間違っている。なぜと言うに、もし私がこれ以上満足してないとすれば、それは光線が何度も変わったためである。また、良い囚人たちが、一時に12人ばかりも、私のすぐ後ろに立っていたためである。彼らは代わる代わる変わったが、しかし皆いつもそこにいた。そうして私には見えなかったけれども、彼らの目が私をいらだたせたためである。私は副知事の部屋で仕事をしたのであるが、その部屋には彼の友人たちのために見せ物のようにイスがいくつも並べてあった。そうして彼らは終日代わる代わる来ては私の後ろに腰掛けていた。一瞬間も誰かが戸口を叩いていないときはなかった。中には囚人たち──無害な囚人たち──すなわち伍長たち──も来た。通弁とロザリはいつも私のそばにいた。私は自分の妻を殺した男が来週公衆の見る前で締められるという話や、ある男が行列のときに脱帽を拒んだために、収監されたという話や、その他同じような驚くべきことをいろいろ聞いた。
 あなたは私が今言ったように、その他驚くべきことをいろいろとか、その他さらによいことをとか、または今言ったことは実は何でもないことだとか、そういったようなことを誰かが話すのを聞いたことがあるならば、それは最悪のことが言い残されてあるというような意味ではなく、実際それ以上言うべきことは何にもないのに、あなたがそれ以上何か著しいことで話を片づけたく思っていることを意味するのであります。例えば、あなたは人が非常に悪いことだと思っている話をした後で、「それだけではなく、これはあの男にとっては日常茶飯のことにすぎないのです。だから、あの男の大罪については想像がつくでしょう」といったりするのを聞くことがありましょう。しかし私の囚人のことを忘れてはならぬ。私は彼にもっとも恐るべき罪悪があることを信じていた。そうしてそれは彼がある偽造の銀行手形を口外したにすぎないことを知った。しかし彼の首はいかなる罪悪にも適しているように見える。
 それで私はパリに帰って彼のことについて話すべき一つの面白い物語を考えてみようと思う。窓のバルコンが中庭に面している、他の囚人たちは皆モデルと画架と画家とをエスパアニュ風の熱心を持って眺めていた。私が帰る前になると彼らは皆飢えた犬のごとく私の方へ駆け寄ってきたが、その表情、その拍手、その叫びは彼らの仲間の肖像を見ているとき絵になるような光景であった。
 私が敷居をまたごうとしていると、副知事は中庭につま立って眺めている人たちに画布を見せてやって、それから知事と長官のところへそれを持っていって見せた。知事と長官は私が馬車に乗ると、往来に出て頭を下げた。そうして今一度喜んで私を迎えるという言葉を聞き残して、私は叔母とやっと馬車を駆けらせることが出来た。
 私は画布の片隅に「アントニオ・ロペス、偽造殺人罪、1881年10月死刑」と書いた。気の毒な男! とにかく私は仮名によって彼に悪名を着せた。私の聞いたところによると、彼の名は、ロドリイグとか、ペレスとか、あるいはロペスとかいったようである。私が編み物をしているところを描いた。あの愉快な市民たちの大部分は、大工とか、鍛冶屋とか、靴屋とか、そういった種類の職業に従事したことがないので、善良なる主婦のように靴下を編んでいるのである。
 死刑を宣告された男たちは自由に中庭を歩き回っていた。たとえばわずかな失効のために1、2年収監されている人か何ぞのごとくに。
 これらの紳士たちの多くは、この建物の中の料理よりも、家庭の料理を好むので、彼らの愛する配偶者たちが、美味な食事を持ってくる。──それはココでさえ口を触れようとはしないだろう。──ココは私の殺人者の別名である、その訳は分からないが。あるいは、彼の同僚が私に対してフランソア一世がチチアンに対するがごとく振る舞ったとき、彼が自分のかみつけることを確かめるために吠えもしないで彼らに飛びかかったからであろうか。
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by bashkirtseff | 2009-12-27 16:57 | 1881(22歳)
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