1881.10.15(Sat)

 今日は叔母とエスキュリアル(王家の廟であり、殿堂であり、寺院であり、修道院であって、マドリッドの北西27マイルにある、世界屈指の名所)で昼間を過ごした。叔母は退屈して、いつも気のない顔をして私を欺こうとばかりした。もし私が案内者の話を聞いていなかったならば、叔母は私をだまして穴蔵から連れ出してしまったであろう。私が疲れてはいけないからとか、それから「ひつぎがあるのでしょう、嫌だこと」とか言って。こんな風にして旅行するのは何といううるさいことだろう! 私は夢のような心持ちで、この広大な、陰気な、物悲しげな、いかめしい花こう岩(御影石)の塊を見た。私はそれを壮大だと思った。この偉大なる悲哀にはそれだけの美がある。宮殿ではサンローランの格子(案内書参照)に模倣して建てられたもので、もしこういった言い方を許して下さるならば、どことなくバラックのような趣がある。けれどもその花こう岩の壁はパリ風の家のように厚く、その歩廊、柱廊、回廊、露台、中庭、緑の水面と共に波のごとく起伏した薄暗い平原の上にそびえて、強い印象を与えている。それは寒い感じだと人は言う。寒くて、悲しいと。あるいはそうかも知れない。けれどもトレドの錯雑した光景を見た後では気が休まる。私たちは王族の部屋へ行った。けばけばしくて、醜である。けれども王自身の部屋は宝玉である。その戸には磨いた鉄と純金の装飾で象眼がしてある。それから銀の縫い箔を用いた美しい拝殿がある。フィリップ2世の部屋に比べると何という対象だろう! この暴君は、むき出しの哀れな穴蔵の中に住んでいる。その穴蔵は大理石の低い礼拝堂に続いて、その礼拝堂が教会堂に続いている。だから彼は自分の寝床から祭壇を見通すことも出来れば、ミサを聞くことも出来る。私は見たほどのすべての部屋と、歩廊と、階段とをことごとくは覚えていない。ただ実に広大なものである。それから長い回廊が続いて、無数の窓があって、窓のよろい戸は皆錠が下りていて、ほとんど装飾のない、大きな扉が付いている。
 教会堂は非常に単純なものであるが、装飾のない大きな弧門が壮大な効果を与えている。
 王族の穴蔵とそれに続く階段は皆色のある大理石で、豪華を極めたものである。
 ひつぎは堅牢(けんろう)な大理石で打ち出しの銅の装飾が付いている。見事なものである。場所はあと5つきり残っていない。メルセエデ(エスパアニュ王アルフオンゾオ12世の最初の女后マリア・ド・ラ・マルセエヅのことである。彼女は1878年に結婚して6カ月で死んだ)の痛ましい像は片脇の小さい礼拝堂に、王女たちや子どものない女妃たちの墓穴の出来るのを待っている。
 内陣は彫刻のしてない木で出来て、中央に大きな合唱長の卓があって、その上に私の体と同じくらいな大きさの書物が置いてある。
 それから図書館に入ってみると、おお! 私にはあまり分からないけれども、長い間感心して眺めていたほどの見事な稿本がたくさんある。
 それから、私はこの陰鬱(いんうつ)な荘重よりも、小さい精巧な美しさの方を選ばせていただきたい! ここには何という厳正と何という静粛があることでしょう。トレドの余計な装飾と、退屈な気取りの名状し難い重荷に比べると、何という隔たりであろう。
 その後で、国王がウサギ狩りに行ったという荘園と、1781年に建てられた亭に案内された。私はそれを宝玉だと思った。階段と入り口は色付きの大理石で出来ている。また非常にきれいな絵を一杯にかけた小さいサロンが幾つもある。そこには青白く、美しく色冷めた絹が懸かって、それに精巧な縫い取りで青い花とバラの模様がある。緑の芝は象牙の色調の白い背景の上に調和良く色あせた色になって浮きだしている。
 この薄白い、もしくば青白い、またかすかな金色の繻子の小さいサロンは、その精巧に描かれた、また象眼された天井と共に、人の首を振り向けさせるに十分である。
 また絵を織り出した帷帳をかけた1つの小さい部屋がある。それは数歩離れてみると本当の絵のようである。また象牙の細工と磁器の驚くべきものもある。
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by bashkirtseff | 2009-12-04 07:55 | 1881(22歳)
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