1881.10.14(Fri)

 昨日の朝7時に私たちはトレドに向かって出発した。この町のことはいろいろ聞いていたので、私は変わったものが見られるだろうと期待していた。理性や常識から離れて、私は中世期とルネッサンスの芸術の偉大を想像していた。例えば、驚くべき建築とか、時代を経過して黒ずんでいる彫像の門とか精巧な装飾のあるバルコンとかを。私はもちろん実際はこれと全く異なっていることを知っていた。けれども私の想像がそんな風にわいていたので、トレドが事実はどこを見ても薄い壁と刻み目のある門ばかりで満たされた一箇のモオル族の都市に過ぎないことを発見したときには、全くつまらなくなってしまった。トレドは城塞(じょうさい)のごとく高地に立っている。頂上からその景色とタアジュの流れを見下ろしたときは、レオナルド・ダ・ヴィンチもしくばヴェラスケスのよく描くような田野風の背景を思い出す。──鳥瞰的に窓から見たような、紺青の山があって、それに近く1人の婦人または紳士が梅の実色のビロードを着て、美しい形の手をして座っている。
 トレドの町について言うと、それは不規則な小さい街路の1つの迷図であって、日光も届かないほどに狭い。住民たちは家々の奇体な外観のために野営を張っているように見える。それは一箇のミイラである。例えば完全に保存されたポンペイとも言える。けれども時代を経て今にも崩れて塵埃(じんあい)となりそうに思われる。土は日に焦げ、高い壁は日に燃えている。驚くべく絵画的な中庭があったり、今は教会となり白く塗りつぶされた回教寺院があったりする。しかしそれも少しずつはがされて、いろいろのきらびやかな珍しい模様が現れたり、幾つにも仕切られた彫り物のある黒ずんだ天井や、互いに交差して奇妙な形になっている梁の迫り持なども残っている。もちろん寺院はブルゴスで見たのと同じように装飾を浪費して甚だ見事なものである。──今の門が驚異である。ああ! それから中庭にはキョウチクトウとバラの木が回廊の中まで入り込んで円柱にまかりついて、それに刻みつけれてあるやせた悲しそうな厳粛な顔をした彫像に絡み付いている。日光がここまで差し込んだときは、その詩は例えようのないものになるでありましょう。
 実際エスパアニュの教会堂は想像の及ばないものである。ぼろを着た案内者、ビロードを着た寺院の事務員、外国人、犬、そういったものが歩き回ったり、祈ったり、ほえたりして、奇妙な美を形作っている。人はこれらの礼拝堂の中から出て来ると、円柱の後ろなどで突然自分の魂に姿に出会うこともあるだろう。
 ヨーロッパの頽壞(たいかい)の中心に近い国が今でもこれほど新鮮に、これほど未開に、これほど自然に存在しているとは、信じられないほどである!
 トレドに来ると人は世界の外にいるような気持ちになる。私にはまだ分からないが、ここには見るものが非常に多くあるように思われる。私は来てからまだ数時間にしかならない。私はこれから帰ってあの黒ずんだ小さい町を写生しようと思う。それからあの柱廊と、あの大きなエスパアニュ風の、またモオル風の、くぎを打った古い門を。何という宝玉だろう、何という驚異だろう! しかし非常に暑くて、あまり見て歩くことが出来ない。……実に絵画的である。何もかも絵になる。すべてのものが珍しくて興味があるから、選択の必要がない。しかし私にはあまりぴたりと来ない。……もしもっと良く見ていたら来るかも知れないが、……。それはゴートとアラビアとエスパアニュの混合である。いや、そんなことはどうでも良い。寺院の内陣は実際驚くべきである。例えば聖壇所の座席なども歴史画の浮き彫りで覆われて、感嘆せずにはいられないほどの細工が施してある。ああ! 私はあなたにお話ししますが、その品位、装飾の豊富、空気のような軽さは、実に驚くべきであります。例えば柱廊、彫刻、弧形、などが時の破壊に耐えられないように見えますから、あなたはこの宝物が頽廃(たいはい)に帰しはしないかと心配になるでしょう。その美しさは人間的の恐怖であなたを満たすほどであります。けれども過去4、5世紀間、この忍耐の怪物は崩れもしないで、見事に立ったままで来ました。それが破壊したり、隠滅したりするかと思うと、あなたは戦慄するでしょう。私は誰にもこの創造物に指を触れさせないようにしたいと思います。その中を歩き回る人さえも、ある程度までは罪を免れない。なぜと言うに、この驚くべき建築の漸次の避け難き破壊に力を添えるわけでありますから。言うまでもなく今後なお数世紀間は存在してるでしょう。けれども……。さて、外に出てみるとアラビア風の窓の付いた高い胸壁が日に干からびて、裂け目が出来ており、モスクは皆唐草模様の付いた円柱が見事に並んでいる。しかし円屋根の後ろに没する太陽を見ようと思うならば、ローマへ行きなさい。すべてこの驚くべきおもちゃみたいなものや、彫刻した石や、ゴート式、アラビア式の門や、すべてこの誇りと不安の意味を与えるきゃしゃな、壊れやすい驚異は、その前に出ればてんびん棒のごとく落ちてしまって、子どもらしく感じられます。
 私は今トレドの写真を見ている。私の考えは間違っていたような気がする。私は正しく見なかったような気がしている。
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by bashkirtseff | 2009-11-30 21:58 | 1881(22歳)
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