日付なし

 アトリエを出ると叔母と私はトゥルヴィルの大通りを通ってトロカデロの側のセーヌの岸を駆らせるために辻馬車に乗った。……よく知られてないが、何という愉快なところだろう! 私はいつもブレスロオが感じていたように、疲労を感じた。私は自分も彼女と同じようにしわくちゃになるのではないかというような気持ちがした。そうして彼女と同じように空を賛美したり、距離の調子の美を賛美したりした。しかし私はほえるような声を出した。それは剽窃(ひょうせつ)ではなしに自然に出たのである。私はそれで自分もいくらか絵がうまくなるだろうというような気がした。ブレスロオはいつも私の頭の中にある。私は彼女がどんな風にするだろうかというようなことを考えてみないでは一筆も下さない。それは画題などでは全く何物でもなくて、歴史画を除いては、絵の品質がすべてであるということを意味するのである。……しかし今はどうだろう! 確かにそれは正しい。首も、手も、描き方さえ良かったら、十分である。私の制作は平凡で! 乾燥無味で! 堅苦しい! ……私は彫刻をやろうかしら。ある日私は言った。するとジュリアンが付け加えた。──形をこしらえるのが面白くないでしょう。──これが私を冷却させた。
 しかし彫刻においてはそれは不可能である。見たとおりのものを形にするので、ごまかしもなければ、色もなければ、視力の上の錯覚もない。
 しかるになぜ皆は、例えばトニーは、私に今の道を続けて行けとは言うのだろう?トニーには利益がないからである。また、従ってジュリアンとてもそうである。なぜと言うに、私が彼らと共に仕事をするよりも1人で仕事をするようになったからである。
 私は絵のことばかり言っていてエルストニッツの別れのことを言わなかった。彼女はずっと以前から去りたいというのを、止められていた。しかしかわいそうに疲れ果てて、死ぬほど退屈していた。──まあ考えてみて下さい。私はおはようとかお休みとか言うきりで、毎晩なぜもっと話をしなかっただろうと自分を責めるが、毎日それは同じことを繰り返している。
 私は彼女に対してもう少し友情を示そうと思えば、150の寛容心をも持っていた。けれどもそこで私はとどまった。そうしてその口実をば自分を苦しめる悲しみに見いだした。
 彼女は去った。あのかわいそうな小さい人は、実際天使のような性質を備えた彼女は。そうしてその別れは私の心を非常に痛めた。けれども彼女は向こうへ行ったら、今までよりも幸福になるだろう。私が特別に気の毒でならないのは、自分の冷淡と無頓着とに対していかなる償いも出来なくなったことである。私は彼女を母や叔母やヂナと同じように取り扱った。しかしそれは私の家族に対しては返って心苦しくないことであるが、この子どもは、このおとなしい、もの優しい子どもは、そうは思わなかった。彼女は昨日の9時に去った。私は泣きだしそうになり、ものが言えなかった。それで平気な顔つきを装っていた。けれども彼女にまた会いたいと思っている。
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by bashkirtseff | 2009-10-31 08:00 | 1881(22歳)
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