1881.08.18(Thu)

 今日……面白くなかったら読まないでもらいますが、私は昼間は仕事をして暮らしたり、仕事をしながら自分にもっとも残酷なことを in petto〔心ひそかに〕話したりして暮らした。
 私の下書きを見ると、私の進んできた1歩1歩が見える。時々私はブレスロオが私よりも先に絵を習ったのだと自分で自分に言うことがある。……しかしその娘があなたにとっては全世界ですか? 私には分からないが、私をしてこの競争者を恐れしめるものは、軽からぬ感情であります。一番最初の日から、男たちや私の同窓の女たちは何と言ったにもかかわらず、私は彼女の才能を発見していた。あなたは私の発見の誤らなかったことを見るでしょう。その娘のことを思い出すだけでも、私は不愉快でならない。彼女が私の絵に一筆絵の具を付けても私は胸を打たれたほどの痛みを感じる。これは私が彼女において1つの力を意識しているからで、その力に対して私はついに屈服しなければならないのである。彼女はいつも自分のことを私と比較した。まあ、想像して下さい。アトリエの中の一番下らない人間たちまでが、彼女は絵が出来ないと言った。──「色が悪いとか、線がまずいとか、形が出来ないとか。」──それは私についても言われたことである。それは1つの慰めであったに相違ない。実際今では私に残された唯一の慰めである!
 1876年(2月)に彼女はすでにメダイユを取っていた。彼女は1875年6月に始めて、それ以前スイスで2年も勉強している。私は2年間彼女がもっとも著しい失敗に反抗してもがいてるのを見た。しかし少しずつ切り抜けて1879年には彼女はトニーの助言で出品した。私はそのとき絵を始めて6カ月目であった。今1カ月たてば私は3年から絵を描いたことになる。それで問題は今私はブレスロオが1879年に出品した絵と同等のものが描けるか否かである。ジュリアンは彼女が1879年に出品した絵は、1881年のよりも良かったと言った。しかしこの2人は仲が良くなくって、彼女を成功の方へ推し進めるように彼は努力しなかったために、中間に低回したままである。
 彼女の去年の絵は私のと同様に morgue〔行き倒れ広告所〕すなわち外部画廊に並べられた。今年は彼女はジュリアンと仲直りが出来てその上新しい画派の保護を受けて、本線に置かれた。メダイユは当然のものであろう。
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by bashkirtseff | 2009-10-30 07:57 | 1881(22歳)
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