1881.07.11(Mon)

 今日はサン・ポールの日である。ガヴロンチの軍楽隊が晩さんの演奏のためと、夜バルコンで聴くために呼び寄せられた。御者の1人が兵士と楽器を連れてくるときに片足を折ったので、私たちは50ルーブルばかりのその日の収入を彼に与えた。それは私の思い付きであった。人は大勢でなかった。リホパイ、エチエンヌ、及び私たちがポルタヴァで泊まったオテルの持ち主。紳士たちは皆彼を相手にしてトランプをしたり、彼を仲間に入れることを承認している。彼は名門の若い婦人と結婚している。けれどもこの宿屋の亭主の仲間になることは! ……さて、私たちの家族は14人である。私は気の利いた服装をしている。ヂナも美しく装っている。しばらく私はリホパイとミチャを相手にして話したり笑ったりしていた。ほかの人たちは私たちがどんな面白い話をしているのかと思って聞いていた。私たちは踊った。父と母はポオルと彼の妻と向かい合って、ミチャと私はスイスの娘とエチエンヌとスペランヂオとカトリイヌと向かい合って、部屋は広く、私たちの足は音楽に助けられて生き生きしていた。ヂナは気違い娘のようになって、あらゆる種類の舞踏をたった1人で、しかも実際非常に優美に踊っていた。私もちょっとの間踊ったが、しかし派手なところはなく、また気取りもなしに。私の痛ましい煩い(耳)のことがあるにもかかわらず。
[PR]
by bashkirtseff | 2009-10-15 07:40 | 1881(22歳)
<< 1881.07.13(Wed) 1881.07.09(Sat) >>