1881.07.09(Sat)

 私たちは皆して巡礼に出掛けた。これからクレメンチョウへ行って、そこでドニエペルに船を浮かべるつもりである。私は今不信心者あるいはそれに近い者のような態度をして、そんな人たちをこの旅行に引き出したのである。
 一千のちゅうちょの後で私たちにはやっと決心が出来る。あなたにはそれがどれだけの仕事であるか想像がつかないでしょう! あるいは私たちは行かない方がよいかもと思う。なぜというに、私たちは結局どんなふうになるだろう? 食べる物や眠るところを見いだすだろうか? もちろん、村もあれば、料理するのにヴァシルを連れて行くことも出来る。──しかし恐ろしいことに、ガヴロンチの近くにはどうしてもよじ登らねばならぬ山があって、皆それに慣れている。けれどもいつも恐ろしい障害が新たに1つ出来たように思われる。ついに、後に残ると行ったり、あるいは行きたくないといったり、銘々が思い思いにそんなことを言った後で、それでも私たちは3台の馬車に乗って出掛けた。ムッシュとマダム。ヂナ、スイスのカトリイヌ、ニニの妹、及びスペランヂオ、ニニ、私、ポオル、それからミチャ。途中の半分くらいはポオルとミチャが一生懸命に歌って、路傍の百姓たちを驚かした。オテルに着くと私たちはアレクサンドル、エチエンヌ、及びヴラヂミルの3人の兄弟がシャンパンを飲んでいるのを見いだした。
 アレクサンドルは恋愛のことや親せきのことや子どもの時のことを話した。簡単に言うと、彼は馬車の入り口のように開けっぱなしである。それで私はすぐ何事かがあるのだろうと想像した。実際彼はちょうどエチエンヌから彼の相続すべき分を買い取ったのであった。エチエンヌはほかの兄弟たちと同じようにそれを蕩尽(とうじん)してしまった。それでニコラスだけが残ったことになる。しかし口では何と言っていても、彼も同じようなことをするに相違ない。そうするとアレクサンドルが彼の父の土地を全部所有することになるであろう。この人には自分の目的に直進してそれに到達するだけの意力がある。彼は1つの力である。私はお辞儀をした。私はほとんど彼を尊敬している。彼はポオルとけんかをして、ポオルを食ってしまいそうな勢いを示した。私は2人を仲裁しようと思う。
 私たちは共通の仕事がないから、私たちの仲は非常に親密である。それで今夜は私は彼の腕を取って公衆庭園を歩いた。けれども私たちはポルタヴァでは夢想することも出来ないほどのもっともハイカラな、もっとも喧騒(けんそう)な日を過ごしているように思われる。そうしてそれは話になる価値があると思う。それを私はあなたに話しましょう。
 私たちは上に述べた庭園で食事をする。露台の右側に15人分の食卓を並べて、一般の人に妨げられないようにして。彼らは遠くに集まって私たちの食べるのを見たり、私たちのために演奏している楽隊を聞いたり、私たちが呼び寄せた婦人合唱隊を聞いたりした。ロシアとスウェーデン語でまずく歌われるボヘミア人の歌を。私は警鈴を鳴らしたくなった。なぜと言うに、人が早く集まらなかったから。およそ8時ごろに満員となった。
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by bashkirtseff | 2009-10-14 07:52 | 1881(22歳)
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