1881.02.12(Sat)

 私の絵を透視法で直したところが、何もかも変わってしまった。今まで見えていたように実は見えるはずはなかったのである。けれども私は6ヤード離れているとしていた。それでマドモアゼル・ド・ヴィルヴィエルの首の後ろに階段が見えていた。ところが透視法はそれがもっと左の方に見えるはずだということを私に教えた。私にはどうして自分の見ないものが描けるか分からない。その上、正しく線を使えば透視法を誤るはずはないのである。透視法は殿堂とか円柱とか、そういったような物を描く時に必要である。けれども女たちの集まっているアトリエなどには必要ではあるまい。これがために私は4、5日を失った。ついにトニーが来てこれで正しいと言った。透視法はそれがあなたの整頓と一致する時には利用しなさい。けれども、もし構図を傷つける時には、あなたはそれと妥協することが出来る。その上、すでにあなたは自分で見た通りのことを正確にしているならば、どうして間違ったことになるはずがありましょう?
 トニーは満足だということを主張して、私に続けるようにと言った。
 私は喜んでいる。
 12時ごろ女中が興奮して顔を真っ赤にして駆け込んできた。ムッシュ・ジュリアンが勲章(レジオン・ドヌール(底本:「レジオン・ドンノオル」)をもらったと言う。皆が喜んだ。家の中の仕事が中止になった。私たちは声を立てて喜んだ。それでA…とニュヴェグリイズと私は、ヴェエラン・ロッソオのところから大きな赤いリボンの掛かった見事な花かごを取り寄せた。ヴェエラン・ロッソオは普通の花屋ではなく、立派な芸術家である。150フラン、それは高過ぎはしない。私たちはそれに紙を付けて次のごとく書いた。「ムッシュ・ジュリアンへ。パノラマ通りのアトリエの女たちより。」
 ヴィルヴィエルはわざと3時ころになって先生に祝辞を言いに戻ってきた。先生は勲章をかけて上がってきた。私は生まれて初めて完全に幸福な人を見てうれしかった。彼自身でもそれを承認している。「世間にはいろんなものを欲しがる人はあるでしょう。しかし私は、現在においては、これよりほかに欲しいものは世界中に1つもありません!」
 それから私たちは、ヴィルヴィエルと私は、私たちの装飾された先生に花かごを見てもらうために下のアトリエへ降りた。喜びと、祝賀と、多少の感動と。彼は私たちに彼の年取った母のことを話した。母にこのことをあまり急に知らせたら驚きはしまいかというのであった。それから年取った伯父のことを話した。伯父は良く子どものように泣くと言った。
 ──まあ考えてみてください、何しろ田舎のことですからね! どんな結果になると思います! ……「ある小さな百姓の子どもが1文も持たないでパリへ出てきたのでした。……それがレジオン・ドヌールの勲爵士(シャヴァリエ)になったのですからね!」
 彼は家族のことを話す時は非常にいんぎんであった。その感動に影響されて、生徒たちの内の1番優しみのない人たちまでが、銅像の話をしたり記念品の話をしたりしていた。
 そこへまた生徒たちが来たり、私の叔母が来たり、ニュヴェグリイズが来たりした。──ムッシュ・ジュリアンは花とリボンを喜んでいた。──そんな風にして5時半まで過ごした。
 余談は別として、それは私たちのアトリエに全く別の趣を与えるようになった。そうして父ロドルフが幸福であったごとく、それは彼を寛大にするであろう。
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by bashkirtseff | 2009-02-16 16:56 | 1881(22歳)
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