1881.01.21(Fri)

 私は急がないで、久しく行かなかったG…家の人たちのところへ一緒に朝飯を食べに行って、それから、11時半にアトリエに着いて、非常な喜びの心で私の絵を始めた。滑らかに行くか、嫌々ながら進むかは、最初の一筆で分かる。
 有り難いことに、それはひとりでに出て来るように思われた。マドモアゼル・ヴィルヴィエルが座ってくれ、その次に小さいトルコの娘が座ってくれた。私は最初に人物だけを皆クレヨンで描いて、それから全体を見た上で、どれだけの改変をすればよいかを決めようと思う。面白くてならない! 健康は良し、気分は快活である! 前景の首は12センチメートルから14センチメートルまでである。
 私はまだ愛する人に対して、自分と同じような人間に対して、及びその人の愛に対して、自分の生涯をいかに犠牲になし得るものであるかを理解することは出来ない。……
 けれども私は、ある原理のためには、自由のためには、あるいは一般人類の状態を改善すべきことのためには、いかに苦痛を忍びうるか、また死をだも忍びうるかを理解することができる。
 私自身はフランスにおいても、ロシアにおいてと同様に、これらの美しいものを守らねばならぬ。国家は人道の次である。国民と国民の差別は要するに差別の陰影に過ぎない。私は常にもろもろの問題を単純化したり広めたりすることに努めている。
 もし私が喜ばない場合は、それは無用だからである。──私は無用なものを嫌う。人が自分の役割を選択することは憶病ではない。聖ポオルのごとく1万1千の処女の間にあるよりも殉教者となることを選ぶのは、全く自然である。私はあからさまに自白するが、人知れぬ女主人公なぞになることは何よりも悲しいことである。しかし、あなたに誓いますが、……
 ここで私はちょっと中止します。私は神の前でも誓うつもりであったが、私には神の存在ということが確実でない。私はこれを恐れなく考える。もし神が存在するならば、神は私の疑惑に対して怒るはずはないと思う。それは私の無知の告白に過ぎないから。私は神の存在を否定しないように十分に心を用いなければならぬ。そうして冷静な時にそれを心から断定することが出来ない。おお! 煩もんの瞬間に私がそんな理屈を言ってはいられない。私はひざまずいて神に祈願するのみである!
 しかし私には1つの至上の知恵が世界に存在しているように思われる。……しかしそれが私の思っている神ではない。……すると、この至上の知恵は何の用をなすものであろうか? ……
 私は神の前で誓おうとしていた。……私に密接なある大原理を救ってくれるならば、何物でも与えよう、私の血の最後の1滴までも与えようと。
 私は今平静である。私はルイズ・ミセルでもなければ、また虚無主義者でもない。けれども私は自由が危険に迫っていると思うならば、誰よりも先に彼女を守るため武器を取るであろう。
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by bashkirtseff | 2009-02-13 14:54 | 1881(22歳)
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