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1881.01.15(Sat)

 今日はトニーと隔日にアトリエに来るムッシュ・コットと話をした。ジュリアンは彼の名前を私に示したのであったけれども、私は今まで1枚も彼に見せなかった。
 ──これを描くのはマドモアゼルですね。昨日運び込むのに骨の折れた大きな画布を指して彼は言った。
 ──そうです、ムッシュ。私は錠を下ろしてこの絵を描くことになっています。
 そこへジュリアンがやってきて、彼はコットに私のことを非常に面白い生徒だと説明してあるということと、もし私が彼に何にも見せなかったとしたら、それは恥ずかしがっているからだということを話した。これは私が忠告を受けることを嫌っているので、それを打ち負かそうというつもりである。
 トニーについて言うと、彼は有名な人であり、真実の芸術家であり、学士院会員であり、斯界の権威であるから、そんな人の教訓は常に利益がある。絵画においては、文学におけると同じく、まず文法を学べ。そうしたら、あなたは戯曲を書いた方がよいか小唄を書いた方がよいかを、あなたの天性が教えてくれるであろう。だからもしトニーが殺されるようなことでもあったら、私はその代わりにルフェーヴルかボンナかあるいはカバネルを選ぶであろう。しかしそれは私にとって悲しいことである。例えばカロリュス、バスティアン・ルパージュ、エンネのごとき気質の画家は、あなたをして、あなたの意思に背いてまで無理にも自分たちを模倣させようとする。そうしてその場合あなたはあなたの写す人の欠点学ぶことになると言われている。次に私は師としては単独の人物を描く画家を選びたくない。私は歴史画の堆積に取り囲まれているような画家を見たいと思う。それは彼に1つの周囲を作り、それに人物を集め、私をして彼の忠告を聞かしめる。そのくせ私は30人も人物を描いた5、6枚の絵よりは、単独の人物を描いた1枚の方を欲するけれども。
 全体から見て、このコットは善良な人のように思われる、彼の初対面が私にそう感じさせたのである。彼はちょうど47歳で、強健でもなければ、はげてもいない。51番のアトリエで快活に談じていた。私たちのところへ来たのは全く珍しいことで、そこでくつろいでいた。
 世界中で1番面白くない顔でも手の入れ方では面白くなりうる。私はモデルの場合において、1番平凡な首が帽子とかずきんとかが衣類のせいで見事なものになるのを見た。これは私が謙遜してあなたに次のことを話したいからでありますが、私は毎晩汚れて疲れてアトリエから帰ってくると、手と顔を洗い白い上衣を着て、インドモスリンを頭に巻き付けて、シェルダンの描いた老婦人、またはグルーズの少女のような風をすると、私の首はあなたの想像する以上に美しく見えます。今夜はやや大型の鉢巻きを á l' Egyptienne〔エジプト女の風に〕巻き付けた。すると、どうしてか私には分からないが、私の顔が王者のごとく見えた。普通にはこんな言葉は私の顔にふさわしく思われないはずであるが、私の服装が奇跡を働いたのである。それが私を愉快にした。
 それが今では1つの習慣となって、夜頭に何かつけていないと私は不安になる。そうして「私の悲しい思い」も隠れたがるのである。私はそれをつけると一層落ち着き、一層安心する。
by bashkirtseff | 2009-02-13 14:50 | 1881(22歳)
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