1880.12.26(Sun)

 ポオテエンが私に転地を要求する。私は積極的に拒絶して、それから、半ば冗談で、半ばまじめに、私の家族の不平を言い出す。そうして毎日泣いたり怒ったりすることがのどを悪くはしないだろうかと彼に聞いてみる。もちろん、私は転地しないつもりである。旅行は愉快であるが、私の家族と一緒に、彼らのこまごました煩わしさを背負って旅行したところで愉快ではない。私は自分が命令することが出来ることをば知っている。けれども彼らは私を悩ます。それで、否、否、否!
 その上、私は今ではあまりせきも出なくなった。それでもただそれだけが私を苦しめる。どうしたらば私は自由になれるだろうか? 何から? 私には分からない。ただ涙が止めどなく流れる。それが結婚しない娘の失望の涙だと思わないで下さい。否、それはほかの人の涙とは違います。要するに、……あるいはそうかも知れないが、私にはそうは思えない。
 それからまた、私の周囲のものは皆陰気で、私は感情の漏らし場がない。私の気の毒な叔母は寂しい孤独な生活を送って、私たちはお互いに見合うこともあまりない。夜は大概私は読書か音楽かで過ごしている。
 私は近ごろ自分のことを話したり書いたりする時に泣きださないではいられなくなった。きっと病気に相違ない。……ああ! 愚かな嘆き! すべての物は皆死に至るのではないか?
 それに私たちが、まことしやかなことを言いながら、また、すべては無に帰すると知りながら、なおも不平を言うのはなぜだろう!
 私はほかのすべての人間と同じように自分も結局は死ぬ体であり、滅びる体であることを知っている。人生のあらゆる状態を考えてみるに、外観はどんなに見えるにしても、結局私の目には哀れなむなしいものとしか思えない。それでも私は自分を投げ出すことが出来ない! してみると生は1つの力でなければならぬ。何物かでなければならぬ。単なる「通路」、もしくば宮殿で過ごされても牢獄で過ごされても同じことだというような時期などではなしに。それに関しては、私たちのつまらない文句よりも、もっと力強い、もっと真実な、あるものがある! それが人生である。単なる通路、もしくば無用の長物ではなしに、私たちの持っているうちでの1番高貴な、私たちの物と呼びうるすべてであるところの、それが人生ではないか?
 私たちには永久というものがないから、人生は何物でもないと言う人がある。ああ! 愚かなるかな! ……
 人生は私たち自らである。それは私たちのものである。それは私たちの所有するすべてである。それに、どうして人生が何物でもないと言うことが出来るか? もし人生が何物でもないならば、何物かであるものを私に見せてください。
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by bashkirtseff | 2009-02-10 13:16 | 1880(21歳)
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