1880.11.16(Tue)

 私はこの間教会に関して誇張した言い方をしたように思う。後で私はそのことを後悔して、寝床から起き出て amende honorable〔昔フランスで犯罪者が首に縄を付けて素足で法廷へ行って被害者に謝罪したこと〕をしようかと思っていた。なぜと言うに、教会は神を知らしめる1つの手段であるから。教会は人間の道徳を非常に改善した。教会は野蛮人の中へ神と文明の名前をもたらした。私は神を怒らせることなしに、文明はカトリック教の助けなしにはこれほどまでに進まなかったであろうと言い得る。しかし、大体から見て、教会は封建制度と同様に必要なものであった。そうして同様に全盛の時代があった。カトリック教には絶対に忌まわしいというのではないけれども、許すべからざることがいくらもある。すなわち神聖なことと子どもらしい伝説との混同である。今日では開化した人が多くなって、これらの神聖な偽りはもはや尊敬されなくなった。けれども今は過渡期である。そうして不幸にして大多数の人はまだ十分の教育を受けていないから空虚な迷信から神の軽蔑もしくば否定へ移り行くことを避け得ない。
 世間には誠実な宗教心の強い人がある。けれども誠実な勤王家はないだろうか? ……なぜと言うに、……世間には国家の繁栄には王政が必要だと考えている人があるから。しかし待って下さい。私はこの前王政を弁護するためには、従僕の心を持たねばならぬと言ったことがあるが、そのときはこういったようなことを考えていたのではなかった。

 私たちは王政が(もちろん立憲的のものではあるが)人間の幸福を作り出すものだと仮定しましょう。そうすればもっとも高慢でもっとも高貴な人たちは誠実にそれに愛着して、数世紀間その国を代表していた家族に対してもある誠実な愛着心を持ちうるであろう。しかしこれとある特殊の1人種に対する奴僕的愛着心との間には非常な差別がある!
 けれども上にも言ったごとく、私は王政に対してはほとんど承認することが出来ない。上述の条件において人は誠実にそれに愛着しうることをば認めねばならぬけれども。また内心からそれを信じてはいるけれども。
 これはしかしフランスにおいては到底可能なことでない。またフランスで共和制よりも好ましい王政を持つということは可能ではない。何人か王者として恥ずかしからぬ候補者が1人でもあるだろうか。ムッシュ・ド・シャンボールは? 必然にその後を襲うべきオレルアン家の人たちは? ──しかし要するに、幾世紀の間隠忍してきたオレルアン家は「国家を代表する家族」となるかも知れない。そうして宮廷の強いる卑劣は人が国家に対してなすところの個人的誇りの犠牲であるかも知れない。必ずそうである。しかしすでに1個の共和制が存在して、立憲的王政のあらゆる長所を持ち、その短所をば少しも持たず、諸種の政体中の最も優れたものである限りは、これは何の必要があるだろうか?
 大臣もしくば天才的政治家が、その人自身はいかなることをなし得るとしても、常に愚昧な無能な王者の奴僕として甘んじている場合、その黙り人形の王者の主権的名誉は実際嫌悪すべきものである。
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by bashkirtseff | 2009-02-07 13:37 | 1880(21歳)
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