1880.11.14(Sun)

 私はカブシンの僧院が気に入るかどうかを見にヴェルサイユへ行った。そこでカブシンたちは最上の抵抗を示してから。
 僧院の中庭には礼拝のいすが幾つも置かれてあって、雨にもかかわらず信心な人たちは礼拝堂の閉ざされた戸の前にひざまずきに来た。興奮した女たちは財産もなければ法律もないと言って声を立てて泣いた。ああ、何という間違ったこれは取り扱い方だろう! そうしてどれほど修道士たちはそれによって利益を得ていることであろう!
 ガンベッタは強い人であることを示さないであろうか? ……なぜと言うに、誰かが進み出なければならぬから。それならボナパルト党の組織はどうだろう? また原理とか共和制とかいうものはどうなのだろう? おお! 心配しないで下さい。私は変化しないでしょうから。実際、この問題は、男女平等の問題と共に、私の誠実に興味を持つ唯一の事柄である。世間には私の常識を脅かすものがあるが、しかしそれはまれである。けれども私は自分というものが完全に分かってからは、世界中の何物にも変化されなくなって、家の頂上から私の信念を宣言しないでいられないほどに、それを自分の力で発見して誠実に信じていることを誇っている。
 なぜと言うに、多くのものを、否、ほとんどすべてのものを、私は非常に表面的にしか注意しない。それはただ談話のために、あるいはそれを知らないでいたくないためだけである。だから男というものが必要である。否、むしろ男たちが。ここで私たちを指導している人たちは滑稽でかつ愚かである。それは共和制に屈しているのである。と言って、雨の中の礼拝のいすが私にあまりに大なる印象を与えたとは思わないで下さい。仮にそれが誠実であるとしても、私に打ち勝つことは出来ないであろう。
 教会は神を低め、宗教を醜くした。と言うよりはむしろ、神に対する崇拝の代わりにいとうべき手品で満たされた複雑な宗教を作り上げた。カブシンの長老は耳門から私たちを甚だ無愛想に迎え入れて、私たちはどんなことが聞きたくとも、ただ信者のことだけしか聞いてはいけないと言った。私は中庭を簡単に写生した。しかしそれはリュ・ド・ラ・サンテほども私は喜ばせなかった。私はそれに少し手を入れようと思っている。けれども、……それはそれだけのものに過ぎない。
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by bashkirtseff | 2009-02-07 13:32 | 1880(21歳)
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