1880.10.19(Tue)

 悲しいかな! こんな惨めな生活が静かに進んで数年の内には死んでしまうのである。
 私はいつでもそんな風になるだろうと思っている。私のような頭では誰も長く生きることは出来ない。私は早熟の子どものようである。
 私はあまりに多くのものを欲して幸福となることが出来ない。また境遇は肉体上の不自由なきことを除いてはすべてのものを私から奪い去ってしまった。
 2、3年前までは、いや、6カ月前までは、私が声を取り戻したいと思って新しい医者のところへ行くたびに、彼は私にこれこれの兆候は感じませんかと決まって聞くので、私が「否」と答えると、彼は大概「気管支にも肺にも別状はありません、ただ喉頭だけです」と言った。ところが、今では、医者の想像していた兆候が皆感じられてきた。だから気管支も肺臓も侵されているに相違ない。おお! しかし、これは何物でもない。ほとんど何物でもない。フォオヴルはヨードと発砲膏を命じた。私は恐ろしくなって泣いた。私は芥子泥を我慢するくらいなら、この腕が折れた方がよい。3年前ドイツにいた時、1人の温泉医は私の右の肺の肩甲骨に接近したところに故障を発見した。私はそれを非常に冷笑した。それから5年前、ニースでも私は時々その辺に一種の痛みを感じていた。しかしそのときは私は隆肉が出来るのだとのみ思っていた。なぜと言うに、私には隆肉のある伯母、父の姉妹が2人までもあったから。それから、その数カ月前にも私はその辺に何か感じはしないかと聞かれて、考えもしないで「否」と答えたことがあった。しかし今ではせきをすると、いや、長い息をしても、背中の右側に痛みを感じる。こんなことが一緒になって、何事か実際に生じつつあるように私は思わせるようになってきた。私は自分が病気だというのに一種の誇りを覚える。けれども決してそれが好ましいわけではない。それは恐ろしい死である。非常に緩慢な死である。4年か、5年か、あるいは10年か。そうして次第にやせ細って、美しさを失っていくのである。
 私はまだ思ったほどやせてはいない。けれども疲れた顔つきをして、非常にせきが出る。息もまた苦しい。まあ、考えてみて下さい! この4年間私はもっとも有名な医者たちの注意の下にあって、方々の温泉へ出掛けたけれども、私の美しい声を、思い出すと泣きたくなるほど美しい声を取り返すことが出来なかったばかりでなく、日に日に悪くなって行くのみで、恐ろしいことだが、少しつんぼにさえなってきた。
 もし死がすぐに来るならば私には文句はないのである。
 あなたはこれまで信じていたことがもはや信じられなくなり、そうして自分で「以前は信じていたのにと思うと!」なんか言おうとしていると、そのとき、また最初のような考え方になり、またもやそれを信じたくなったり、あるいは少なくとも新しい考え方に対してまじめな疑惑を抱くようになったりすることを、言葉や筆で述べてみようというような気持ちになったことがありはしませんでしたか? これが私の今度の画面の略図を作ろうという気持ちです。……画家を待ちながら、モデルの小さいきれいな女は、いすに馬乗りに腰掛けてタバコをふかしながら、パイプを歯の間に加えさせたがい骨を眺めていた。着物は左手の床の上に散らかっていた。右手には靴やら、葉巻の箱やら、スミレの束やらが。その女は片足をばいすの寄っ掛かりの横木を越して投げ出し、両ひじをついて、片手をあごの下に支えていた。靴下は1つは床の上に、1つはまだ足元にぶら下がっていた。それは色については実によい姿勢であった。私はだんだんと良い彩色家になっていく。ああ! それは冗談です。しかし、冗談は別として、私は色を感じてきた。2カ月以前の、モン・ドール前の私の絵と今の私の絵とは比較にならぬ。
 あなたは、私が病気になって、何にも出来なくなった時でも、まだ私をして生にかじり付かせるものには事を欠かないのをご覧になるでしょう。
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by bashkirtseff | 2009-02-05 12:15 | 1880(21歳)
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