1880.10.04(Mon)

 私はマンドリイヌの譜のことで、少し以前に、ナープルにいる私の音楽の先生に手紙を出した、その返事が着いた。その手紙は、平凡な手で書いたものではあるが、イタリア語の言い回しが非常にきれいだから私は保存している。白状すると、私は自然主義的傾向(あまり理解されてない表現だが)でかつ共和党の感情を持っているにもかかわらず、この美しい国語に対しては非常に敏感である。
 かつこの2つのものが調和しがたいのはなぜであろう!
 それはとにかく、その文体のことはイタリア人に任せねばなるまい。ほかの国人が使うと、それは滑稽になるから。私の神様! いつになったら私はイタリアに行けるのでしょう?
 イタリアを見た後ではその他の場所は何というつまらなさだろう! いかなる人も、いかなるものも、私にはその国の思い出ほど楽しいものはなかった。なぜ私はすぐにそこへ行かれないのだろう? しかし、絵のことを考えてみると、私は指導者なしに正しく歩けるほど進んでいるだろうか? 私には分からない。
 否、私はこの冬はパリに残っていて、謝肉祭のころイタリアへ行こう。そうして1881年─82年の冬を聖ペテルブルグで送ろうと思う。そうして1882年から1883年に掛けてはパリかまたはイタリアへ帰り、そこで誰か肩書きある人で1年に1万5千もしくば2万フランの収入があって私の収入を喜んで受け取るような人と結婚しようと思う。私は開城するまでにまだ3年の月日を待つぐらいに賢明でないだろうか?
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by bashkirtseff | 2009-02-02 18:40 | 1880(21歳)
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