1880.08.22(Sun)──パリ

 8時。何という気持ちよさに私のアトリエは見えることだろう!
 私は週間絵入り新聞やらその他の小冊子やらを読んでみた。……何もかも落ち着いていて、旅行などをしなかったようである。
 午後2時、私は自分の心を煩わしくするものは芸術家の耐え忍ばねばならぬすべての種類の煩わしさに等しいものだと思ってわずかに自ら慰めて(!)いる。なぜと言うに、私は貧乏というものも、親の圧制というものも感じていないから。……そうしてこれは多くの芸術家の苦しんでいる点ではあるまいか?
 才能だけでは私は成功しないだろう、もしそれが天才の躍動とならない限りは。……しかしそんな躍動は3年間も研究して偉大なる天才についてもなお得られなかった。ことに今のごとく、周囲に多くの才能がある場合でさえも。私は良い思い付きが浮かんでも、卒然として、夢を見ているか何ぞのごとく、つまらないことをしてしまう。……私は自分を軽蔑しかつ憎む。すべての人(その中には私の家族をも含む)を軽蔑しかつ憎むがごとく。……おお、家族……例えば汽車に乗ると叔母はいろいろな小さい政策を労して私を窓の開いていない側に腰掛けさせようとする。私は争うのが嫌になって言うことを聞くが、ただし向こう側は開けたままにしておくという条件で。しかし私が眠ると彼女はすぐにそれを締め切ってしまう。私は目が覚めると、靴で窓をけ破ってしまうと言って怒鳴り出す。けれども、もう私たちは着いていた。それから朝飯の時に私が物を食べないと言って心配そうな顔つきをしたり、芝居か何ぞの様に目をつぶったりする人がある。もちろんこの人たちは私を愛している。……しかし私には、人が愛する時はますます理解が出来るものだというふうに思われる! ……
 心からの怒りは人を雄弁にする。
 雄弁な人、もしくは政府に対して怒っていると信じている人は、壇上に立って自ら1つの名声を作る。しかし女には自分の勝手に立たれる演壇がないのみならず、女は自分の父、義理の父、母、義理の母、その他自分を終日落ち着かせない人たちに煩わされる。女はいくら怒っても、自分の化粧卓の前で雄弁になりうるに過ぎない。結果は──ゼロである。
 そんな場合に……母はいつも神のことを話しだす。もし神様のおぼしめしならば、とか、神様のお助けによって、とか。
 うちの人たちはあまりしばしば神に呼びかけるので、小さい義務は大概皆どこへか行ってしまう。それは信仰でもなければ、もちろん帰依などではなく、1つのマニアであり、弱点である。ものぐさな、無能な、懶惰な人たちの憶病さよ! すべて神の言葉を持って自分の感情を覆い隠さんとするほど不作法なことがあるだろうか? もしその人が神を信じているならば、単に不作法なだけでなく、また罪悪でもある。何事かが起こると決まっていれば、必ず起こるであろう、と彼女は言う。自分で確証することの煩わしさを避けて、また後悔する心配のないように。そうしてもし何事でも皆前もって決まっているとすれば、神は1つの立憲的主宰者であり、私たちの自由意思であり、不徳であり、また徳であるにとどまらねばならぬ。
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by bashkirtseff | 2009-01-28 12:03 | 1880(21歳)
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