1880.06.01(Tue)

 私は思う、無神論者がもし気が弱かったら甚だ惨めなものに相違ないと。私自身はどうかと言うに物に驚くと神の名を呼びかけたり、我欲のためにあらゆる疑惑が解け去ったりする。これは悪い感情に相違ないが、しかし私は自分の持っていない徳で自分を飾り立てようとは思わない。私には人が自分の弱いところや卑しいところをさらけ出すのは全く滑稽に感じられる。1873年に私はヴィエンヌの万国博覧会へ行った。そのときコレラが猖獗(しょうけつ)を極めていた、詩編第91編の次の章句の保護の下に。今その章句を逐語的に挙げよう。
「かれその翼をもてなんじを覆いたまわん。その翼に守られてなんじ安きを得ん。かれの真実(まこと)はなんじの盾なり、小盾なるべし。」
「夜は驚くべきことあるとも、昼は飛び来たる矢あるとも、なんじ恐るることあらじ。」
「暗きには歩む疾病(やまい)あるとも、真昼には損なう災厄(わざわい)あるとも、なんじ恐るることあらじ。」
「千人なんじの左に倒れ、万人なんじの右に倒れん。されど、そはなんじに近づくことなからん。」
 昨日私はこの神聖な言葉を思い出して、熱心に読み返してみた。私が子どもの時にいつも感じていたと同じ熱心で。私はこの言葉が今日私の役に立とうとは予想しなかった。
 私は今遺言書を作ってしまった。それは私自身の手でロシア字で次のごとくあて名を書いた封筒に封じられてある。──「ポルトヴァなるムッシュ・ポオル・バシュキルツェフへ。」
「この思い満たされずば、死して後なんじの足を引きに来ん!」
 S…が来ていた。初めはたあいのないことを私たちは話していた。叔母は私のそばを離れなかった。それがうるさいので、私はピアノに向かって掛けた。それから彼は私を冷淡にならしめたようなことを話しだした。それは彼の姉妹が彼のために縁談を整えてくれたけれども、彼はその女を愛しないというのである。
 ──それでその方とは結婚しないとおっしゃるの。まるで気違いね。
 後で私たちはトランプをした。aux bêtes〔動物遊び〕で。これはロシア人の召し使い仲間で非常に喜ばれる勝負である。
 ──あなたが結婚なさりたい方はマダム・ド・Bでしょう、と本の中に書いて、それを彼に渡した。
 ──否、あの人は年が行ってるじゃありませんか、彼は同じ方法で答えた。
 私はこんな文句で6ページを満たした。これは保存しておくと面白いだろう。
 実際彼は私を愛している。私を崇拝している。それで字句は燃える題目の周りを回転した。
 私は彼にふざけることを禁じた。すると彼はからかうのは私の方だと答えた。私の叔母が時々つまらないまねをしてないで、早くお休みなさい、と注意した。私は病気で今に死ぬのだと答えた。この特殊な通信をした後で、彼が私を愛していることはほとんど確実になった。今夜彼は幾たびも卑しい目つきをしたり、私の熱を見るような風をして手を握ったりした。けれども何事をも生じなかった。しかし私は彼をどうするかをも知らないでいて、ただ彼を私のそばに引き付けておきたいのである。私は彼をして母に願わせようと思っている。──私に暇を貸してくれるように。母は拒むであろう。そうすればそれがまた1つの猶予になるであろう。それから……私にはもう分からない。それは知るべからざることである。
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by bashkirtseff | 2009-01-17 12:25 | 1880(21歳)
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